なぜ繰り上げを選ぶのか

繰り上げを選ぶ理由は人によって異なるが、大きく3つに整理できる。

①生活資金の確保

貯蓄が乏しく60歳以降の生活費が不安な場合、減額を受け入れてでも年金収入を早期に確保することには現実的な合理性がある。老後の総受取額より「今月の家賃と食費」のほうが差し迫った問題である以上、この判断を頭ごなしに否定できない。

②健康なうちにお金を活用したい

厚生労働省のデータによれば、健康寿命(日常生活が制限されない期間)は男性約72歳・女性約75歳で、平均寿命との差は10年前後ある。「元気に活動できる期間は思ったより短い」と実感し始める60歳前後に、繰り上げの動機が生まれやすい。

この感覚を裏付けるのが消費支出のデータだ。

年齢層別月平均消費支出

65〜69歳 31万1281円 ← ピーク
70〜74歳 26万9015円 ▲約4万2000円
75歳以上 24万2840円 ▲約6万8000円
出典:総務省統計局「家計調査年報(家計収支編)2024年(令和6年)平均

65〜69歳と75歳以上では月7万円近い差がある。お金を使える機会と体力は年齢とともに縮小していく。60代に受け取る年金は、80代に受け取る年金より多くのことに使える可能性が高い。

③年金制度の将来悪化への懸念

少子高齢化が続くなか、マクロ経済スライドによる年金の実質的な目減りや、支給開始年齢の引き上げ議論など、制度への不信感も繰り上げの背中を押す可能性がある。「もらえるうちにもらっておく」という判断を、完全に非合理とは言い切れないだろう。

定年後の生活を考えている人のイメージ写真
写真=iStock.com/takasuu
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男性は「それほど損でもない」という現実

60歳0カ月まで繰り上げた場合、65歳受給と比較して累計受取額が逆転するのは81歳前後(昭和37年4月2日以降生まれの場合。税・社会保険料・加給年金等は含まない概算)。これが「繰り上げ損益分岐点」として広く知られる数字だ。

ここで厚生労働省「令和5年簡易生命表」を確認すると、男性の平均寿命は81.09歳。損益分岐点とほぼ一致する。平均寿命は今後も延びる見通しであり、亡くなる年齢は人それぞれではあるが、考慮したいデータではないだろうか。

さらに現実には、健康寿命(72歳)から損益分岐点(81歳)のあいだの約9年間は「年金を受け取ってはいるが、活動的にはお金を使えない時期」が続く。元気に過ごせた60代の数年間と、入院・介護が始まった後の数年間では同じ「1万円」でも、その価値は異なる。一方、女性の65歳時点の平均余命は約24.4年(=89歳)で、損益分岐点(81歳)を大きく超える可能性が高い。女性であれば繰り上げの損は統計的にも現実味を帯びる。このように繰り上げの評価は性別・健康状態・ライフスタイルによって大きく異なってくるわけだ。