94歳の小松原庸子さんは、スペインを代表する伝統舞踊フラメンコを日本で広めた立役者だ。無縁だったフラメンコにどのように出合い、今でも踊り続けているのか。ノンフィクション作家の黒川祥子さんが、フラメンコに捧げた小松さんの人生をたどる――。

日本のフラメンコ界を牽引してきた94歳

JR中央線「高円寺駅」南口からすぐ近く、駅前の飲食街に隣接する住宅街の一角に、半世紀以上にわたり、日本のフラメンコ界を牽引してきた場所がある。それが、「小松原庸子スペイン舞踊団」だ。

ある木曜日の夜、さまざまなトップスにロングスカートを纏った女性たちが、レッスン場の壁一面に張り巡らされた鏡の前で踊っていた。インストラクターの指示で足を踏み鳴らし、カスタネットを叩き、優美に舞う。

そこにゆっくりとした足取りで、小松原庸子さんが現れた。御年おんとし94歳。小柄で痩身な身体でありながら、長年鍛えられた体幹のせいか、一歩一歩踏み出す姿に骨太な力強さを感じる。入り口近くの椅子に座ってフラメンコシューズに履き替え、カスタネットを両手につけ、すっと立ち上がる。曲に合わせてカスタネットでリズムを刻みながら、自然にレッスン生の輪の中へと入っていく。年齢を一切感じさせない、指導者としての風格があった。

「カラコレ? アレグリ? 皆さん、何を踊りたい? じゃあ、カラコレ、行こう」

「カラコレス」も「アレグリアス」も全て、フラメンコの曲名だ。「カラコレ」と聞いた生徒たちが、一斉に扇子を手に取る。

月に1、2回は今も自ら指導にあたる小松原庸子さん(左端)。
撮影=プレジデントオンライン編集部
月に1、2回は今も自ら指導にあたる小松原庸子さん(左端)。

「扇子の開け方はこうして。手首を、中に入れて」

華やかで優雅な扇子の動きが、レッスン場いっぱいに広がる。小松原さんは一人一人、扇子の使い方を見定めていく。眼光は鋭い。

「次は、タンギージョ」

「若い人を教えることで、自分も上達しますから」

生徒たちは四隅に散り、今度は帽子を手に取る。

「お帽子を被るときは左の眉毛を隠して、斜めに見せる。取るときは、肘を曲げないで。帽子を、好きな人だと思ってね。自分を世界一、美しいと思って踊ってください。できるだけ、明るく。おお、いいねー。ずいぶん、上手になっているから」

小松原庸子さん
撮影=プレジデントオンライン編集部

小松原さんのあたたかな声かけに、レッスン場にいくつものうれしそうな笑顔が広がっていく。

日本フラメンコ界の草分けであり、フラメンコの新たな舞台芸術を作り上げた創始者が、今でもこうして自らレッスン場に立っている。驚きを隠せないこちらに、小松原さんは当たり前のことだと朗らかに笑う。

「若い人を教えることで、自分も上達しますから。今はもう、月に1回か、2回ぐらいなんですけど、できる限り指導します」