孫正義と12時間のミーティング
「今日も、少し話しませんか」
そのままエアポートバスで東京ターミナルに移動し、すぐ側のロイヤルパークホテルの個室に案内された。
18時に交渉が始まり、ルームサービスで夕食を頼む。それでも通常なら21時くらいには終わるものだ。なにせ、こちらは総代理店契約を結ぶ意思がないのだから。
ところが、彼は深夜の1時になっても、2時になってもあきらめない。
「いずれ、私たちはマイクロソフトを超える会社になります」
隠すことなく野心を語り、粘り強く交渉を続けるあきらめない姿勢には驚かされた。だが、いくら儲かる可能性が高くてもボーランドが敵視しているライバル企業とつながるような契約を交わすことはできない。
結局、朝の6時まで話し合いをし、合意はなかったものの最後は笑顔で別れた。やると決めたら、徹底的にやる。この人はビジネスで大きな成功を手にする人物だ、という印象が強く残ったのを覚えている。
徹底的にやる。納得するまでやる
徹底的にやる。
納得するまでやる。
本当に集中して取り組む対象と出会えた人は幸運だ。
私にとってはそれが「考古学」であり「ベンチャーキャピタル」だった。なぜ幸運かと言うと、私たちは集中して何かに心底打ち込んでいるとき、人として大きく成長できるからだ。
「努力は好きに勝てない」とはよく言ったものだ。
あなたにも、そんなふうに自分の成長を実感した経験があると思う。
鉄道模型作りに自分のすべてを捧げた父
私の父・原信太郎は、まさにそのお手本のような人だった。
本当に鉄道一本。鉄道模型づくりに自分の魂と時間、持っている頭脳と技術力を捧げていた。
その分、他のことには無関心。私や弟妹の行動にはまったく興味がない。愛情がないのではなくて、目を向ける時間がなかったのだ。私が何年生かも把握していないし、学校の成績表は一切見ない。友達のことも一切聞かない。いつも鉄道模型づくりに夢中だった。
私は、父が鉄道模型をつくっているところ以外の姿をあまり見たことがない。私が高校、大学受験のために夜中の2時、3時まで勉強していたときも父のほうがもっと遅い時間まで模型づくりをやっていたくらいだ。朝は朝で、こちらが通学のために早く起きて支度を始めると、作業部屋からはもう工作の音が聞こえてくる。いったいいつ寝ていたのだろうか。
父は幼いころから鉄道に関することはすべてを学び、吸収したいと考えていたようだ。たとえ、それが外国語で書かれている場合でも。その結果、英語はもちろんのこと、旧制中学と旧制高校でドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語を独学で身につけていった。
すべては海外の鉄道について知るためだった。家にはいろんな国から、いろんな言語の鉄道や模型の雑誌が届いていた。