美人で有名な、もうひとりの姉妹

その一方で、信長の姉妹のうち3人は尾張国内の有力者に嫁いでいる。

・おくらの方 奴野ぬのや城(津島市天王通)の大橋清兵衛重長の妻。

おくらの方が嫁いだ大橋家は津島(愛知県津島市)の商人的色彩の濃い有力者で、信秀の父・信貞と津島衆の間で大永年間(1521~27)に大規模な争乱があり、信貞は武力制圧した後に大橋家に娘を嫁がせ、津島四家、津島七党と和議を結んだという伝承が残っている。しかし、実際は信貞の武力制圧と信秀の娘の輿入れを同時期のものとして混同したのであろう。

・小林殿 小林城(名古屋市中区上前津)の牧与三右衛門まきよそうえもん長清の妻。
・お犬の方 大野城(愛知県常滑市金山)の佐治八郎為興さじはちろうためおき(信方ともいう)の妻、のち細川昭元に再縁。

為興の子・佐治与九郎為次(一成ともいう)は、お市の方の娘・ごう(のちの徳川秀忠夫人)と結婚している。お犬の方は肖像画が残っており、美人の誉れが高い。そのため、為興の死後、管領家の細川右京大夫うきょうたいふ昭元(信元、信良)に再縁した。お犬が未亡人になった元亀2(1571)年頃、信長は細川家の執事だった三好家と敵対し、あるじである足利将軍家とも微妙な関係にあり、政治的に利用価値を見出したのであろう。

細川昭元夫人・お犬の方だといわれている肖像画(竜安寺所蔵)
細川昭元夫人・お犬の方だといわれている肖像画(写真=竜安寺所蔵/PD-Japan/Wikimedia Commons

隣国美濃の有力者とも婚姻

信秀の娘は、隣国美濃の有力者と婚姻したり、信長の領土拡張にともなって近江や越中にも輿入れした。

・(名不詳)美濃苗木城(岐阜県中津川市苗木)の苗木勘太郎(遠山直廉)の妻。美濃の苗木勘太郎は遠山一族で、その娘は信長の養女となって永禄8(1565)年に武田勝頼に嫁いだ。
・(名不詳)美濃小島おじま城(岐阜県揖斐いび郡揖斐川町六合)の斎藤兵衛尉秀龍の妻。美濃で齋藤秀龍といえば、斎藤道三(麿赤兒)のことを指すが、道三は兵衛尉を名乗ったことがなく不詳。
・(名不詳)越中守山城の神保じんぼう安芸守氏張の妻、のち稲葉貞通(一鉄の子)に再縁。