加害者の多くは、かつての被害者

のりすけさんは、殴る蹴るといった暴力が日常的に行われるような家庭で育った。生後数カ月のときに、母は父のDVが原因で家を出て行った。祖父から祖母へのDVもあったが、父と祖父のいさかいは特に激しく、包丁が持ち出され、警察を呼ぶようなこともあったという。さらには、父のギャンブル依存症や借金によって生活も困窮した。

このような過酷な家庭環境で育つと、感情を押し殺すことが日常化され、それが鬱積すると怒りを抑制できなくなるなどといったゆがみが生じやすいという。

のりすけさんは、DV加害者が学び変わるための自助団体「GADHA(ガドハ)」のオンライン当事者会にも参加してみた。

「当事者のコミュニティなので自分の発言を否定されることがないんです。『うんうん、そうだよね』とみんなが受けとめてくれるので、安心感がありました」

当事者コミュニティに参加する人のほとんどが、のりすけさんのように暴力のある家庭で育っていた。

「加害者は被害者であることが多いのです。被害者意識が強いから、自分の加害行為を免責してしまうのだと思います」(のりすけさん)

中村教授はこれまで、多くのDV加害者や虐待親、体罰教師などの脱暴力支援に取り組んできたが、そのほとんどが、かつて家庭で暴力を受けていた被害者だったという。

「ただ、実際にはそのような経験をしても、半分以上は加害者にはなりません。ですから、どんな理由があったとしても、自分が振るっている暴力については、自分で責任を負うべきだと思います」と中村教授は語る。

「べき思考」で生きてきた

のりすけさんは、妻に過度な節約を強いたことについても、貧困にあえいでいた子ども時代のトラウマが影響していたことに気づいた。経済的にゆとりのある生活が送れるようになってからも、子ども時代に染みついた習慣から抜けきれず、定価でものを買うのが怖い。せっせと貯金をしなければ不安になる。

現在、のりすけさんは過去のトラウマに向き合いながら、「認知のゆがみ」(物事を偏った見方でとらえてしまう思考パターン)などの、不健全な家庭で育ったために身についてしまったことや、身につけることができなかったこと(良好な対人関係の築き方など)を洗い出して、学び直しているさなかにある。

「私は、家族の愛情を知らないまま大人になってしまったので、唯一信じることのできる法律や道徳観をよりどころに、『こうあるべき』という姿を描いて、そこにすべてを当てはめようとする『べき思考』で生きてきたのではないかと思います。頼るものが、それしかなかったのです」