「誰もが彼女を器量よしと認める」

その頃、ハーンの目に映ったマティは、では、どんな娘だったのでしょうか。はっきりと彼女の名前は出していないのですが、1875年9月26日付けのシンシナティ・コマーシャル紙に書いた記事中に、ハーンは彼女を登場させています。(この新聞は、ハーンが『シンシナティ・インクワイヤラー』を辞めて、すぐに移籍した対抗紙です。)

右を向いているアメリカ・シンシナティ時代のラフカディオ・ハーンの肖像画
アメリカ・シンシナティ時代のラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)、1873年(写真=エリザベス・ビズランド著『ラフカディオ・ハーンの生涯と手紙』(1906年)よりシンシナティ・ハミルトン郡公共図書館所蔵)

「健康で、体格の良い田舎娘である。いかにも丈夫そうで、血色も良く、下宿屋の台所で働いて暮しを立てている身でありながら、どんなにあら探しの好きな人でも器量よしと認めざるを得ない様子をしている。大きな黒い目には、奇妙に物思いに沈んだ表情があり、娘以外の誰の目にも見えず、影も持たない何者かの挙動をずっと見守ってきたかのようであった」

彼女には、その美しい容姿や気立てのよさ以外にも、ハーンの興味を強く惹きつける、もう一つの要素がありました。

「降神術者達は、娘を強力な『霊媒』とみなすのが常だったが、彼女はそう呼ばれるのをことに嫌った。読み書きを習ったことは一度もなかったが、語るに際しての素晴しく豊かな描写力、普通以上に優れた記憶力、そして、イタリアの即興詩人(インプロヴィザトーレ)をも魅了するであろう座談の才などに生来恵まれていた」

マティは、まるで魔術師がポケットから次々とハンカチを取り出すように、自分が見たさまざまな幽霊の話をハーンに語ったのでした。それは実に迫力に満ちた幽霊でした。

ラフカディオ・ハーンと結婚したアリシア・フォーリー(通称マティ)の若い頃
ラフカディオ・ハーンと結婚したアリシア・フォーリー(通称マティ)の若い頃(『知られざるハーン絵入書簡-ワトキン、ビスランド、クールド宛1876-1903 桑原春三所蔵』より)

マティも幽霊の話が得意だった

「殺された農夫はいまだに安らかな眠りを得ていないとみえて、毎晩、馬に乗った幽霊が街道を駆けて行きます。目に見えない姿で徴収所を駆け抜けることもあれば、寒い夜に鋭い蹄の音を響かせて通ることもあり、雨の晩には泥を飛び散らし、ずぶぬれになっているような気配で進んで来ます。けれども、その姿が見えるのはフィルマンの森だけに限られています。ぼんやりとした、頭のない恐ろしいその姿。わたしは見ました。そして、強い風の一吹きで、ろうそくの炎のように消えて行くのも見ました」

彼女の体験談を文字で再現するハーンの筆力もさることながら、やはりマティの話術がとても巧みだったからこそ書けたのではないかと思わせるような文章です。

ハーンが幼い頃に暗闇の中に幽霊を見て怯えたのは、よく知られている話です。長じてからも、世の怪奇現象に強い興味を示しました。それは、現実の世の中とどこかうまく適応できないところがあって、そのために生じたズレのようなものから発したのではないかと考えられます。