竜巻発生中の親雲を、上空から見下ろす

飽くなき冒険心は、年をとっても衰えなかった。

1977年、56歳の時、また無茶な探究心がムクムクと湧き上がってきた。

「間違っているかもしれないですが、竜巻ができる時の雲を、竜巻が実際に起こる瞬間に見たいと思った」

竜巻発生中の親雲を、上空から見下ろすという前代未聞の計画。これは藤田自身も、

「初めからこの計画は無謀で、成功する可能性は非常に少ないと思った」

と振り返っている。当時、藤田はある気象学者と竜巻発生中の雲について議論していた。相手は、竜巻発生時の親雲は上空高く伸びると主張していたが、藤田は下降すると唱えていた。

竜巻発生中の親雲は高く上昇するのか、それとも下降するのか、この目で確かめたかった。

1977年2月23日、ミシシッピ州で竜巻が発生しそうな気圧配置となった。またも直感に従い、昼過ぎにシカゴのミッドウェイ空港から6人乗りのリアジェット機で離陸した。

気象台と無線で連絡を取りながら、メンフィス市上空を旋回し始める。すると、気象台のレーダーに怪しい雲が見えると報告が入った。急ぎ、その付近へ直行した。

15時9分、まさに藤田の眼前で竜巻を発生させる雲ができ始めた。雲は崩れるように下降していき、大きなくぼみができていた。自然のダイナミズムが生み出す壮大な光景は、圧巻だったと藤田は振り返っている。

「まるで自分が、映画の主人公になったような気分でした。これで竜巻が発生する時、必ずしも雲が高く伸びるわけではないとわかりました」

「奥様はどう思われているでしょうか?」

藤田哲也は、ただの大学教授ではなかった。まるで冒険家のような心を持ち、時に危険や失敗が伴う挑戦でも、自ら飛行機に乗り込み、この目で確かめずにはいられない男だった。

そんな藤田に、シカゴの地元テレビ局のレポーターがこんな質問を投げかけていた。

──一度聞きたかったのですが、竜巻被害現場などに小さな飛行機で飛んで行かれますよね。奥様はどう思われているでしょうか?

「まったくと言って賛成していません。『大学教授の定義って何なの?』とよく聞かれます。『教えることさ』『そのはずよね。でも、どうしてあなたは、雲の空中追跡なんかするの?』『好きだから』『あなたは好きでも私は嫌よ』という具合です。しかも、私の妻は迷信深いのです。13日の金曜日には飛んでほしくないんです。でも、数回飛びました。妻には『14日の土曜日に飛ぶよ』と伝えます。そして、無事に戻ってきてから本当のことを伝えます。『14日は、天候が適していなかったから、13日の金曜日に飛んだよ』って。……もう信用してもらえません」

──想像できます(笑)。

佐々木健一
1977年、札幌市生まれ。早稲田大学卒業後、NHKエデュケーショナル入社。ディレクターとして『哲子の部屋』、『ブレイブ 勇敢なる者』シリーズなどを企画・制作。『哲子の部屋』で第31回ATP賞優秀賞、『Dr.MITSUYA 世界初のエイズ治療薬を発見した男』でアメリカ国際フィルム・ビデオ祭2016ドキュメンタリー部門(健康・医療分野)シルバースクリーン賞を受賞。2014年、第30回ATP賞最優秀賞、第40回放送文化基金賞優秀賞を受賞した『ケンボー先生と山田先生―辞書に人生を捧げた2人の男』を元に執筆した『辞書になった男』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
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