「少子高齢化」などの時代背景は既に使われすぎている

と思ったら、以前の私も思いきり使っていました。

少子化は年々進む一方。両親や祖父母の子どもに対する期待は高まり、英会話を習わせたり学習教材を買い与えたりと、教育面での出費を惜しまないようになりました。その影響で、子ども関連のビジネスが好調な動きを見せています。
絵本の制作・販売をするA社も、そんな会社の1つです。

「少子化が年々進んでいる」だけでなく、それに続く「両親や祖父母が子どもに対して出費を惜しまない」という話も、よく見かける話です。間違ったことは書いていませんが、インパクトには欠けます。これだけを読んで、続きを読んでみたいとはあまり思いませんよね。

じつは、私が書いたのは「自分の子どもを主人公にできるオリジナル絵本」をつくっている会社を取り上げた記事でした。せっかく面白い題材なのに、手あかのついた「つかみ」を使っているわけです。過去の自分、じつにもったいないことをしています。

「少子高齢化」に限らず、時代背景に関する「つかみ」はよく使われるため、どこかで見たような「つかみ」になりがちです。

たとえば、「人生100年時代がやってきた」「グローバル化の進展によって」などの文言は手あかがついていて、新鮮味のない表現に見えます。

私も、時代背景に関する手あかのついた「つかみ」を多用していた時期がありました。無難だという考えもありましたし、「高尚なことを書いているように見せたい」という気持ちもありました。しかし、その結果、どこかで見たような「つかみ」を量産していたわけです。

「これはガチです」などネットで頻発する書き出しもNG

また、季節に関する「つかみ」も、手あかのついた典型の1つです。「もうすぐ桜舞い散る季節」「師走の足音が近づいてきました」「いよいよ夏本番!」などは必ずしも常にNGではありませんが、「つかめるかどうか」という視点で言えば、インパクトに欠けます。

ほかには、最近よく目にするものとして、SNSで多用される、自分の投稿に目を向かせるための言い回しです。

具体的に言えば、「これはガチです」「炎上覚悟で言います」「何度でも言いますが」「本質を言います」「断言します」「ズバリ言います」などなど。

写真=iStock.com/maruco
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これらを文章で使っていると、「またその言い回しか」と思われてしまいかねません。情報商材を売っている人がよく使う言い回しなので、「この人も何か売りつけようとしているのでは」という誤解を招くおそれもあります。