イギリス流の「帝王学」とは
明石元紹は、当時の平成の天皇とブライスの個人教授のエピソードのひとつを、以下のように紹介する。
ブライスがわざと、殿下との間にエンピツを落とす。
「殿下、エンピツが落ちました。どちらが拾ったらいいですか?」
殿下が答える。「エンピツに近い人が拾うのがいいでしょう」エンピツはブライスの近くに落ちていた。
ブライスは首を振って、「駄目です。あなたはクラウン・プリンス(皇太子)です。近くても遠くても、クラウン・プリンスが拾わなくてはいけません」
王室のあるイギリスで育ったブライスの「紳士学」、「帝王学」というものの一端を見た気がする逸話である。ノブレス・オブリージュにつながる意識でもあろう。
学習院中学に進学した経緯
特権層がその特権を自己に優位に活用するのではなく、特権層であるがゆえに他者に奉仕する姿勢が求められるという「帝王学」がそこにはある。平成の天皇は、米国流の平等主義的なヴァイニング夫人の教育に接する前に、イギリス流の「紳士学」、「帝王学」に触れていたともいえる。
そしてこのブライスがマッカーサーを訪問すると、マッカーサーは御学問所構想が皇太子に超国家主義的な日本思想を教える危険性があると感じて中止させたという。この結果、平成の天皇は学習院中等科に進学した。
人格形成に影響を与えた女性
平成の天皇が学習院中等科に進学した昭和21年の10月15日、エリザベス・グレイ・ヴァイニング(ヴァイニング夫人)が来日した。平成の天皇の家庭教師をつとめるためであった。
ヴァイニング夫人が平成の天皇の家庭教師となるいきさつは、この年の3月にアメリカからの教育使節団の一行が来日し、昭和天皇が団長のジョージ・ストダード博士に平成の天皇(皇太子)の家庭教師をさがしてほしいと依頼したことにあった。
初等科卒業後の御学問所構想が取りやめとなり、新時代の皇太子教育が求められていた中でのことであり、あるいはマッカーサーら米国占領軍との間になんらかの経緯があったのかもしれない。