撮影=永谷正樹

経費は削るが、人は削らない

——逆風のときに経営判断が問われるのが、不採算事業への対応です。傷口を広げないようにリストラや撤退策を講じるのが常道ですが、リーマンショックのときはどう判断されたのでしょう。

【小池】当時、影響が大きかったのは工作機械事業でした。急成長していた事業だったのですが、リーマンショックでオーダーがひと月に数台というレベルにまで落ち込んでしまいました。先行きの見通しはわからない。けれど、潜在的なニーズ、市場はあるわけで、撤退することは考えませんでした。

どうやって苦境を乗り切るか。固定費などの費用はどうしても発生します。事業部に見通しを聞いてみると赤字予想でした。ただ、聞いた規模の赤字なら、会社トータルで考えれば耐えられない数字ではない。赤字がそれ以上拡大しないように、操業率が下がって余剰になっている人員を他部門に配置転換するなどの工夫をして、事業の存続を図ることにしました。

ブラザー工業の創業の精神の一つに、「働きたい人に仕事を作る」があります。けれど、1990年代には家庭用ミシン販売の商流変更に伴い、国内の販売会社ではリストラせざるをえずつらい経験をしました。当時、私はアメリカの販売会社にいたので、直接経験したわけではありませんが、それを教訓に、経費節減などは徹底してやるけれど、社員の士気が低下する経営判断をしてはいけない、と肝に銘じていました。

1年間、我慢の時期を乗り越えたら、オーダーが殺到

——存続させることにした赤字事業は、その後どうなったのでしょうか。

【小池】工作機械を存続させたのは、後講釈に聞こえるかもしれませんが、私なりの読みがあったのです。当時、アルミを筐体に使ったスマートフォンが普及しはじめたところでした。ブラザーの工作機械は、アルミ加工に強みを持っていたので、状況がよくなれば弊社にオーダーが入るだろう、と読んでいたのです。

1年間ほどその体制で乗り切ったら、スマートフォンが世界的に売れ始めて、工作機械のオーダーがたくさん入るようになりました。これで工作機械事業は上げ潮に乗ったのですが、中国のメーカーからも受注が入ったのは、想定外でした。幸運の追い風が吹いたのです。

一時は工作機械だけで売り上げが600億~700億円までいきました。結果として、事業を守って大正解。いまでは工作機械を含むマシナリー事業は、全体の15%を占める経営の柱の1つになってします。

大きな流れを読み、確信があれば投資

——ほかに教訓になったことは何でしょうか?

【小池】万全とはいえないけれど、グローバルに事業を展開している会社としては、為替の変動のリスク対策をすることですね。

わが社は部材を仕入れて、アメリカやアジア、ヨーロッパなどいろんな国にその国の通貨で売っています。ドル経済圏でのやりとりはドルとドルで相殺できるからいいのですが、ヨーロッパの各国やイギリスとのビジネスは、ドルとユーロ、ドルとポンドのやりとりになります。この変動リスクを少しでも減らすことはできないか、と考えました。

リーマンショック前は、1ユーロが140~150円台でした。イギリスなどにいくと、ハンバーガーが1000円で、タバコが1箱2000円にもする。ユーロやポンドがこんなに強い状況が永遠に続くとは思えない。そこで、今後の為替の変動に備えたリスクヘッジとして、ユーロの為替予約を行うことにしたのです。

その後、リーマンショックが来て円高になった時には、実勢レートよりも有利なレートで予約していたことで為替差益が発生し、助けられた。これで、景気回復後に一気に攻めに転じる経営体質づくりができたのです。

ともあれ、最悪のときに備えてリスクヘッジをするのが経営者の役割だと思います。

(取材・構成=村上 敬)
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