若い人が宗教に向かうのは、自分の力では何ともならない事態に直面した場合でしょう。たとえば恋愛であり、受験や就職です。そこで向かう先は、評判のいい占い師だったりパワースポット巡りであって、必ずしも宗教だと思わないかもしれません。
しかし宗教というのは、とても身近です。死を前にして自分の人生の意味を考えたり、生命や能力の限界を感じたところに存在するのです。新型コロナウイルスの影響で、リストラに遭ったり収入が下がるかもしれないと不安を抱くビジネスパーソンは、いまこそ宗教を知るべきです。
いまだからこそ知りたい聖書の言葉
伝統宗教は長い年月、様々な危機を切り抜けてきました。そのため、知恵や生きるヒントに溢れています。聖書やブッダの言葉を学ぶ意味が、そこにあります。私は同志社大学神学部と大学院の神学研究科で学びました。そして、聖書を6年間持ち歩いていました。しかし、書かれた言葉の持つ意味が本当にわかるようになったのは、社会人になってからです。
中でも旧約聖書の「コヘレトの言葉」は、最も辛い時期を支えてくれ、座右の銘となりました。2002年5月14日に私は逮捕されて東京拘置所の独房に512日間勾留されました。逮捕の直前に大学時代の恩師が丁寧な直筆の手紙にして、送ってくれたのです。「コヘレト」とは伝道者のことで、この世の生活における知恵が書かれています。特に読んでほしいのは、3章の1節~11節です。
天の下の出来事には
すべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
<中略>
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らに
お与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、
また、永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を
始めから終りまで
見極めることは許されていない。
(コヘレトの言葉 3章1節~11節)
この言葉が教えるのは、すべての物事は空しいということ。さらに、どんなことにも「時」がある。その感覚を身につけることの重要さです。自粛しないといけないときや活動しないといけないときについて、タイミングを見極めることの大切さです。
そして、我々には理解できないような出来事にも、大きな摂理があるのだと説きます。なぜ、このような恐ろしいウイルスが流行るのか。なぜ志村けんさんや、あるいは身近な人たちが亡くならなければいけないのか。
我々にはわからないことがある。しかし、どんなどん底からも必ず抜け出せることを知りなさいという教えは、まさしく現在のような危機的な状況に読むべき言葉です。
同じ「コヘレトの言葉」の7章には、危機を過ごすための心構えが、わかりやすく凝縮されています。
〔賢者さえも、虐げられれば狂い賄賂をもらえば理性を失う。事の終りは始めにまさる。気位が高いよりも気が長いのがよい。気短に怒るな。怒りは愚者の胸に宿るもの〕
どんなに賢くて優秀な人でも、圧迫された状況になったり賭けマージャンが絡むと、理性を失ってしまう。これも時宜にかなった一節だと思います。
旧約聖書が厳しい戒めばかり説くのに対して、新約聖書には愛や和解についての教えがたくさん書かれています。
コロナ禍で不安な心理状態の改善に役立つ言葉が、イエスの弟子たちの生涯を描いた新約聖書「使徒言行録」の中にあります。私がキリスト教の神髄に触れ、聖書の言葉の力を知ったのは、この「使徒言行録」によってでした。20章にあるパウロの言葉を読んでみましょう。
〔わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように〕