82歳で現役の経営者にして発明家
同社は製品の約9割を海外で販売するグローバル企業である。エルメス、フェラガモ、プラダ、クリスチャン・ディオールといった名だたるブランドがこぞって同社の製品を採用しているのは、その高い技術力の証だろう。
また、ZARAなどのファストファッションをはじめ、需要が急拡大するスニーカーや、インテリア、医療関係など、同社の編機の用途はさまざまな分野に広がっている。
日本では「知る人ぞ知る」といった存在だが、海外での知名度は抜群で、特にヨーロッパのファッション界では「島正博」の名を知らぬ人はいないほどだという。
戦中・戦後、高度経済成長、バブル、そして平成と、激動の時代を生き抜き、小さな町工場を和歌山が誇る世界企業に育てた。
和歌山が輩出した実業家といえば、パナソニックを創設した松下幸之助の名がすぐに浮かぶが、島さんをよく知る人は「発明家、イノベーターとしての才は、島さんのほうが上ではないか」と評するくらいなのだ。
創業55周年を迎えた2017年、社長職を長男・三博氏に譲ったものの、御年82歳(2019年秋現在)にして、現役の経営者(代表取締役会長)であり発明家。それだけでも尊敬と称賛に価しよう。
島さんの歩んできた軌跡と、その業績を知れば、「こんな日本人がいたなんて!」と、誇らしい気持ちになるのではないだろうか。
「時代の先の、そのまた先」を読んでいた
時代を読むことに長けた島さんは、アパレル業界の大量生産モデルに限界が来ることを、かなり早くから察知していたという。
また、無理や無駄のない生産システムを築く必要性も感じていた。
「アパレル産業は原料を有効に使っていない。資源を大切にせんといかんと、1970年代のオイルショックの頃から考えていました。そこで多品種・少量生産に対応できるコンピューター制御の横編機を開発したんです。同じ商品を大量に生産するのではなく、消費者のさまざまな好みに対応する魅力的な商品をつくれば、長く大事に着てもらえる。そうすれば、捨てられてしまう服も減らせるんやないかと……」
その慧眼が、数々の革命的な編機や、斬新なデザイン・ツールを生み出したのだ。