神仏を信じない性格は母ゆずり

なお、母も「権威」ということに対しては懐疑的な見方を持っていたようで、「寺に詣でて阿弥陀様を拝むことばかりはおかしくて、決まりが悪くてできない」と常々いっていたといいます。幼い諭吉が神様からの罰を信じず、自分の養家に建っていた稲荷社の御神体の石や木札を捨ててほかのものと入れ替え、「馬鹿め、乃公(おれ)の入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでいる」と面白がったり、神様の名前が書いてあるお札を踏んで神罰に当たらないことを確かめたりしたことなどは、母から受け継がれた性格だったともいえるでしょう。

いずれにせよ、福澤諭吉の進歩的かつ慈悲あふれた性格は、シングルマザーだった彼の母・順による献身的な子育てに、その一端が見出せるといえます。

子育てに活かしたい「諭吉の教え」

学問のすゝめ』の著者としても知られる福澤諭吉は、「慶應義塾」のイメージからか、さぞ恵まれた家庭環境で育ったようにも思われがちですが、じつは、彼は女手ひとつで育てられた子どもだったというのはお伝えしたとおりです。

諸富祥彦『あの天才たちは、こう育てられていた! 才能の芽を大きく開花させる最高の子育て』(KADOKAWA)

諭吉の母親は、荷が軽いとはいえない「片親」の立場でありながらも、母として、そして人として凛(りん)とした姿勢を貫き、「人として大切なこと」を自分の子どもたちに教えていきました。

家なき子だった女の子の頭のシラミを取ってあげていたというエピソードはとても印象的ですし、諭吉がその行動の理由をたずねたとき、「自分で取ろうと思って取れないなら、できる人がそれをしてあげるのは当前」だと、母親は「人としてあるべき道」を子どもたちに説いていたのです。

片親であることにコンプレックスを持つ必要など、まったくありません。親自身が、「1人の人間」としてきちんと生きている姿を見せることが、子どもの心の教育にとって何よりも大切なのです。そのことを、諭吉の母親は私たちに教えてくれているように思います。

諸富祥彦
明治大学文学部教授
1963年、福岡県生まれ。教育学博士。日本トランスパーソナル学会会長。臨床心理士。上級教育カウンセラー。1992年、筑波大学大学院博士課程修了後、千葉大学教育学部助教授等を経て、現職。おもな著書は、『男の子の育て方』『女の子の育て方』『ひとりっ子の育て方』(以上、WAVE出版)、『子育ての教科書』(幻冬舎)など多数。[ホームページ]https://morotomi.net/
(写真=iStock.com)
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