吉原の遊女の一日の労働時間はどれくらいだったのか。大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)の吉原風俗考証・山田順子さんは「遊郭は夜見世がメイン。通常の終業時間である夜10時の数え方を変えてまで、遊女と客の床入りを引き延ばしていた」という――。

※本稿は、山田順子『吉原噺 蔦屋重三郎が生きた世界』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

女郎の一日、朝6時に同衾した客を送り出し、再訪を約束

明け六ツ(午前6時)

女郎の一日は、同衾どうきんした客を送り出すところから始まります。客が着物を着だす頃、女郎も起き上がって、客の羽織を着せかけ、自らも寝間着の上から着物を引掛け、客を見送ります。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・卯ノ刻(うのこく)」(午前6時)
喜多川歌麿「青樓十二時 續・卯ノ刻(うのこく)」(午前6時)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

並の客には階段の上まで、中客なら見世の入口まで、上客なら通りの木戸口まで、そして特上の客には大門おおもんまで送ります。序列は決まりではありませんが、客と女郎の駆け引きというところでしょうか。

蔦屋重三郎がいたような引手茶屋ひきてぢゃやからの紹介で来た新しい客は、茶屋が朝食の粥をふるまうので、そのときは同伴して、最後まで別れを惜しみ、再訪を約束させます。

寝起きの顔をわざと見せて、より親近感を持たせるというのも、女郎のテクニックの一つでしょうか。

さて、客が帰ったあと、昨夜熟睡できなかった女郎たちは二度寝の床に入ります。

4時間だけ寝て10時に起床、朝食を食べ、風呂に入る

昼四ツ(午前10時)

女郎たちが起きる時間です。女郎屋には内風呂がある見世もありましたが、大人数が同時には入れないので、まずは風呂に入る人、朝食を食べる人とそれぞれですが、中には見世の外の湯屋に行く人もありました。

喜多川歌麿「青樓十二時 續・巳(み)ノ刻」(午前10時)
喜多川歌麿「青樓十二時 續・巳(み)ノ刻」(午前10時)、江戸時代・18世紀、東京国立博物館蔵、国立博物館所蔵品統合検索システム

朝食は、基本的には飯・味噌汁・おかずが一品・香の物ですが、おかずに魚が出るのは月に一回くらいで、ほとんどが野菜の煮物や豆腐や油揚げを使った料理でした。そこで、登場するのが昨夜の客が残した料理です。これを冬は小鍋で温めたりして食べました。

吉原の女郎屋では、原則「白い飯」つまり、精米した米を食べました。そのため田舎の農家で、精米した白い米を食べられなかった子どもに、女衒ぜげんが吉原に連れてくるとき、「吉原に行けば、白い飯が腹いっぱい食べられる」と言って誘ったのです。