ビール事業は一度も黒字を出したことがなかった

大手酒販店にはなんとか食い込むことができたが、モルツを扱ってもらえなかった悔しさは津田さんの胸に深く刻まれることになった。

それは津田さんの“サントリー人生”の通奏低音となっていくのだが、一方で、ビジネスマンとしての己を知ることになる大きなターニングポイントがふたつあったと、津田さんは言う。

キャリアのターニングポイントは2回あった
撮影=遠藤素子
キャリアのターニングポイントは2回あった

ひとつは2001年にビール・プロジェクトのメンバーに抜擢されたことだった。

「当時の社長は佐治信忠(2001年3月に社長就任)でしたが、酒類販売免許の自由化を迎えるに当たって、首都圏と近畿圏で社長直轄のプロジェクトを発足させたんです。『ビールの夢を叶えるんや!』ということです」

「ザ・プレミアム・モルツ」(2003年発売)が成長をしてきた2008年まで、サントリーのビール事業は一度も黒字を出したことがなかったのだ。

91年入社の津田さんは、ちょうど10年選手になる年。根っからのインポスターも、さすがにビール営業の仕事には自信を持っていた。しかし、近畿圏全域を対象に総合的なビールの販売戦略を立案しそれを各現場で実行に移してもらうというプロジェクトのミッションは、まるで雲をつかむようで捉えどころがなかった。

「佐治社長は、既存の売り方にとらわれず、業界に先駆けて一気にゲーム・チェンジをするための戦略を答申せよと言うわけですが、もう『何から手をつけたらいいのかわかりません』というのが正直な気持ちでした」

自信のなさが炸裂する

プロジェクトチームのメンバーは部長、課長に津田さんを含む担当者が2人だけ。しかも、年次が下のもうひとりの担当者は、企画畑の出身で戦略の立案に長けていた。

津田さんの自信のなさが炸裂した。

「本来は年次が下のメンバーにコーチングをしてあげる立場でしたが、あらゆる局面で『教えてもらう』のが実際の私の立ち位置でした。なにしろ、データ分析なんて1回もやったことがなかったんです。これはえらいことになったなと思いました」

津田さんの自信のなさは、上司にもズバリと見抜かれていた。ある日、課長からかけられた何気ないひと言を、津田さんははっきりと記憶している。

「津田らしくないな。君ならもっとできるはずだろ」

インポスターにとって、これは非常にショックだった。

「『お前はできていない』の裏返しですよね。もう、クビになるんじゃないかと思うくらい、追い詰められた気持ちになりました」

プロジェクトチーム内で役割分担が決まってからは、「自分なりにやれたかな」という感覚を持てたそうだが、同じくインポスターである筆者には、この時期の津田さんの苦手意識や気まずさは痛いほど想像できる。

「限定された自分の担当エリアで成果を出す営業の仕事と、近畿圏という大きなエリアを動かしてアウトプットを出すプロジェクトの仕事の違いを学びましたね」

その違いとは、目に見える・手で触れられる仕事と、抽象的・概念的な仕事の違いと言い換えてもいいかもしれない。