“先生役”東北の雄ヨークベニマルの実力
ヨークベニマルの創業は1947年6月。前会長の大高善興氏の父、善雄氏が興した。善雄氏は戦後、賀川豊彦の生協運動に共鳴し46年、ベニマル生活協同組合を設立、47年に紅丸商店と改称した。48年に郡山市中町に1号店をオープン。間口2間(約3.6メートル)、奥行き3間(約5.4メートル)の小さな店が、今や売上高5000億円に迫る全国有数のスーパーの原点だった。
71年3月、イトーヨーカ堂との折半出資でヨークベニマルを設立、4月には平店をオープン、協業での取り組みが始まった。この時の店長を善興氏が務め、初年度に売上高15億円を達成した。「両社から8人ずつ派遣され、一緒に仕事をしてイトーヨーカ堂の力を実感した」(善興氏)。店舗協業が始まり73年には業務提携に至っている。
ヨークベニマルはヨーク・ホールディングスのスーパー事業においてはイトーヨーカ堂やヨークマートの“先生役”を担い、商品や売り場改革を先導する。実際、3月1日付でヨークベニマルの真船幸夫会長が、イトーヨーカ堂の代表権のある会長に就任する。商品本部と販売本部を統合した営業本部も管掌、その営業本部長は伊藤弘雅氏が務める。
伊藤弘雅氏はヨークベニマルで修業し、前会長の大高善幸氏の薫陶も得ており、真船氏との関係も良好。ヨーク・ホールディングスの中核であるイトーヨーカ堂の再生はヨークベニマルと創業家の若きリーダーに託される。
イトーヨーカ堂は新店も準備する。5月にはヨーカ堂のドミナントの一つである東京都西部に「ヨークフーズ東小金井店(仮称)」を出店する。JR中央線東小金井から北東約90mの梶野公園南側に位置し、店舗面積は1813平方メートル。二層で一階部分が駐車場になる。さらに秋には23区内にもう一店舗のオープンを準備中だ。
商品や売り場づくりではヨークベニマルのノウハウを積極的に導入する。現在、ヨーカ堂宇都宮店には、ベニマルの真船幸夫会長が作業改善リーダーらを引き連れて改革の指揮をとる。また、惣菜工場のピースデリにはデリカ事業部管掌の松崎久美専務(2月末で退任)が入り込む。こうした成果を惣菜のオリジナルブランド「ヨークデリ」などに移植し、メーカーとタイアップした試食販売などのイベントも強化し、既存売上高の底上げを図る構えだ。
中間持ち株会社の社名にも使われる「ヨーク」はイトーヨーカ堂のPB(プライベートブランド)に源流があり、グループの新規事業には付けられてきた歴史を持つ。セブン‐イレブン・ジャパンも最初はヨーク・セブンという社名だった。「腐っても鯛」ではないが、ヨーカ堂の不動産価値などを加味すると、ヨークHDの企業価値は6000億~7000億円規模に上るとみられる。大量閉店したといえ都内でのシェアはまだ高く、大井町など好立地の店舗も多い。
鈴木敏文氏のふるさとのヨーカドーも閉店
3月14日に開業する郡山市のヨークパーク。ユニクロはベニマルと同じ一階に店舗を構える。多層階の商業施設なら通常、衣料品は2階以上。今回、ヨーク側は「三顧の礼」を尽くして柳井氏に接し、ユニクロを迎えたことがよくわかるテナント配置になった。
2025年に入ってもヨーカ堂の店舗の閉店は相次ぐ。1月19日午後7時には鈴木敏文氏(セブン&アイHD名誉顧問)の出身地・坂城町の隣、上田市の店舗が47年で幕を下ろした。「長きにわたりご愛顧ありがとうございました」と整列した従業員らが頭を下げると数百人の客から拍手が沸き起こった。
高齢の女性は「もうイトーヨーカドーのロゴを見ることもなくなるのね」とぽつり。あるヨーカ堂愛好者は「世の中のスーパーがみんなイオン系列になるのは消費者にとってよくない」と声を上げる。こうした地域のファンに支えられてきたヨーカ堂の再生は、取引先のメーカーの支えと、それにこたえる社員・幹部の頑張りがなくては達成しないだろう。


