28歳で高松藩の蔵番を辞め、江戸へ出て勝負する

源内が長崎で何をしたのかは残念ながら史料不足で不明ですが、中国や朝鮮から渡来した薬草・薬物そしてオランダの珍物などを、感激を持って見たと推測されます。長崎から帰った源内は、驚くべき行動に出ます。宝暦4年(1754)7月、「近年病身」を理由にして、藩に蔵番退役願を提出したのです。そればかりか、家督を妹婿に譲ってしまいます。

源内は自由の身となった訳ですが、長崎遊学を経て強まった学問への熱情がそうさせたのでしょう。宝暦5年(1755)、源内は量程器(歩いた距離を測る器具)や磁針器(方角を測る器具。オランダ人製作の同器具を模倣したもの)を製作しています。