不自由な社会で、苦しみの中から「心」を発見した紫式部

【角田】おもしろいですよね。山本先生のご著書に、『源氏物語』は「世」と「身」がキーワードであるとありました。「世」=社会、「身」=身体、どちらにも限りがあるということなんですけれども、紫式部は夫の死に立ち会って、その苦しみから「心」というものを発見した。

「心」は「世」にも「身」にも縛られないものであるという発見があったから、紫式部は創作に入ったのではないか。そう山本先生は書かれていましたよね。すごくスリリングで興味深かったです。

【山本】紫式部には、『紫式部集』という和歌集があります。

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

紫式部が娘時代に親友と交わした和歌です。当時の紫式部は元気な女の子でしたが、まもなくこの親友が亡くなってしまう。その後、紫式部は結婚したけれども、夫もたった3年で亡くなってしまう。そこから紫式部の人格が変わっていくのを和歌に読みとることができます。

角田光代・山本淳子『いま読む『源氏物語』』(河出新書)
角田光代・山本淳子『いま読む『源氏物語』』(河出新書)

夫の死後、「世」=「社会」「時代」「世間」を見つめるようになった紫式部は、その「世」のなかで生きる私という「身」=「身体」「身分」「身の上」に絶望する。ところが、その絶望の底で「心」というものを発見します。「心」はどんなに虐げられた身の上であってもいつのまにか慣れて笑ったりするものなのだ、どんな「身」にも順応するものなのだ、と紫式部は詠んでいます。

ところが一方では、そうはいっても「心」は「身」にまつろう(従う)だけでもない、とも詠んでいます。「心」は煩悩や欲望を抱き始めて、「こんな身の上では嫌だ」と言い出したり自分をさいなんだりするものだ、と考えを深めていきます。

そこまで深い人間洞察をし始めたときに紫式部は、子どもを抱えながら自分はこれからどうやって生きていこうかと思い悩み、苦しみから逃げるようにしてもうひとつの世界を想像して、そこに自分の「心」を全部投入していったのだと考えます。