自宅に届いた大量の手紙やハガキ

複数の閣僚が今井さんたちの責任を問うような発言をしており、北海道の自宅には強い口調で批判したり誹謗中傷したりする手紙やハガキが大量に届いていた。「自己責任」「国賊」「非国民」「頼むから死んでくれ」……。今井さんを批判するものも、家族を非難するものもあった。自宅の住所を特定して送られたもののほか、「郵便局の皆様 イラクの人質問題で今日本で一番有名な人です。番地なしでも届けて下さい」という封書もあった。

「イラクの自衛隊派遣をやめさせるために今井さんたちが自作自演で起こした事件だった」との誤った報道もあった。誤解を解こうと今井さんは帰国後2カ月の間に2冊の本を出版し、講演も引き受けた。「気を張っていましたね。2カ月ぐらいは興奮状態だったけど、それから体調を崩していきました」

自宅に大量に届いた手紙やはがき
撮影=山本奈朱香
自宅に大量に届いた手紙やはがき

あえて手紙を読み、連絡を取った

環境を変えるため、秋ごろに英国へ。語学学校に通いはじめたが、日本人のみならず英国人にも「事件の当事者」と気づかれることがあり、体調を崩しがちの日々だった。友達になった韓国人から「日本人から『ノリ(今井さん)と付き合うな』と言われた」と聞かされたこともあった。10月末には、イラクで香田証生さんが拘束されて殺害される事件が起きた。そういった報道に触れるたびにパニック障害のような状態になったという。

翌2005年夏に帰国。朝に起きられないことも多く、自宅に引きこもりがちになりながらも、自宅に届いていた大量の手紙やハガキに目を通しはじめた。ただでさえ体調が悪い中、しんどい作業だっただろう。

なぜ読もうと思ったのですか。そう尋ねると、今井さんは言った。

「明らかに体調が安定しないんですよ。『このままだと精神的に回復しない。事件に向き合わないと』と思って読みはじめました」

罵倒する言葉に触れて、また体調を崩すこともあった。家族との関係もぎくしゃくしてしまい、自宅にいづらくて友人宅などを転々としたこともあったという。

それでも住所がわかる人には返事を書いた。手紙のやり取りをしたり、実際に会ったりするうちに理解を示し、応援してくれるようになった人もいた。「世の中にはいろいろな人がいて、違う視点で見ている。でもちゃんと会って話すと意外に話せる。人って単純じゃないな、と感じました」