マレーシアの空港では足が震えた

回復のきっかけになったのは、大学に入ってからできた友人たちだ。入学後2年ほどは「人質事件のあの人」という視線を常に感じ、偽名を使ったこともあった。冷や汗が止まらなくなるため、人との交流を避けることも多かった。

でも「今井紀明という人間」と付き合おうとしてくれた友人たちは、今井さんが泣きながら語る話を否定せずに聞いてくれた。いま振り返ると、それがカウンセリングのような効果を果たしていたという。

大学2年生の終わりごろ、「もう一度海外に行かないと人生後悔する」と考えて東南アジアへ。マレーシアの空港に着いたときには足がガクガク震えた。危険な土地ではないはずなのに、「何かあったらまた批判されるんじゃないか」という恐怖心があった。

少しずつ人を信頼できるようになっていったものの、就職活動をはじめた当初は事件のことは明かさないようにしていたそうだ。しかし会話がぎこちなくなるためか、80社以上の会社説明会に行っても内定ゼロ。意を決して過去についても語ると、大阪にある商社から採用された。それまで揺れ動いていた感情がいったんゼロになったように感じ、「再スタートだな」と思ったという。

「知り合いの知り合いまでは泊まれる」ルールで家を開放

働き始める前にアフリカのザンビアに行き、学校増築のプロジェクトに関わった。帰国後、日本の学校でザンビアでの活動について語ると、あまり元気がない子どもたちの様子が気になった。ザンビアで出会った子どもたちは、将来の展望について力強く語っていたのに……。「途上国のザンビアより、日本の状況のほうがマズいのではないか」と感じた。

なにか、できることがあるのでは――。就職を機に大阪に移り住むと、今井さんはいろいろな若者に出会うためにあることを思いつく。「家を開放したんです」。

「知り合いの知り合いまでは泊まってもいい」というルールにした。友達を作りたかったという理由もあるが、同世代のいろいろな人に会えたら、課題が見えてくるだろうと考えたのだ。

1年で300人ほどが泊まりにきた。「布団を何組も敷いて10人で寝る、とか。さすがに1年でしんどくなりましたけど、楽しかったです」と笑う。

あるとき通信制高校の先生と知り合った。見学に行った学校では、生徒の多くが不登校だった過去があったり、学校を中退したりしていた。周囲から否定されて苦しむ様子が、かつての自分と重なった。

そこで今井さんは、「クレッシェンド」というプログラムを始めた。これは、通信制・定時制高校の高校生とD×Pのボランティアが対話する全4回の授業で、一人ひとりに寄り添いながら関係性を築き、人と関わってよかったと思える経験をつくるものだ。

「誰かに大切にされる」経験をしてほしい

2010年3月には、「10代の孤立」の解決を目指して「D×P」を立ち上げた(12年にNPO法人、15年には認定NPO法人化)。クレッシェンドに加えて、18年からは無料相談アプリのLINEで相談できる「ユキサキチャット」を始めた。相談員が若者からの悩みを聴き、相談に乗ったり支援期間につなげたりする。もともとは不登校や、進学や就職に関する相談を受けていたが、コロナ禍以降は経済的な困窮を訴える声が増えたという。

「親が急にいなくなった」「奨学金を親に使い込まれた」「家族の介護をしないといけない」――。虐待や家族のケアなど様々な要因が絡み合っているケースも珍しくない。「所持金が数百円しかない」という相談もあった。

そこで2020年からは現金給付と食糧支援を始めた。食べるものが買えないという子たちのため、ダンボール箱に30食分の食糧と生理用品などを詰めて送る。「調理器具を持っていない」「固形物を食べられない」という声もあったため、いまは、できるだけ一人ひとりにカスタマイズして送っているという。

写真=D×P提供
若者たちに送る食糧は、一人ひとりに合わせて中身を変えている。手書きのメッセージも入れている

ユキサキチャットの登録者は現在約1万5800人。親を頼ったことのない若者たちに「大切にされた」「頼ってよかった」という経験をしてほしいと手書きのポストカードを入れるなど工夫しているという。

若者の中には、現金給付をすると「親に取られてしまう」という人もいる。そのため、家庭に届けるのではなく、学校に相談した上で学校宛てに送るなどして本人に直接届けられるように気を配っている。

物価高の影響なのか、2024年は食糧支援を求める人が急増した。年末年始に食べられるものがない状況を避けられるようにと、12月20日までクラウドファンディングを実施し、1725人から約3280万円が集まった。

大阪“グリ下”にも支援拠点

さらに2022年の夏には、大阪・道頓堀にあるグリコの看板付近(通称グリ下)にテントを張り、若者が無料で使えるフリーカフェを開いた。当時グリ下には10代を中心とする若者が集まっていて、性的搾取や犯罪につながりやすい状況があった。フリーカフェで弁当を配ったりしながら若者たちとの関係性を築いていったという。今井さんは「親から経済的な搾取や虐待を受けていることもある。学校で教師に伝えても対応してもらえなかった子もいる。大人への抵抗感が強い子が多い」と話す。

長期的な支援が必要だと感じ、23年6月には近くのビルの1フロアを借りて「ユースセンター」を開設した。週に2日、午後4時から10時まで開所している。やってくる子の中心は15歳から17歳。食事を提供したり相談に乗ったりするほか、定期的に助産師に来てもらい、病院とも提携。病院への付き添い支援も行っているという。

大阪・ミナミの、グリ下近くにある「ユースセンター」
撮影=山本奈朱香
大阪・ミナミの、グリ下近くにある「ユースセンター」