愚痴を聞いたり秘密を打ち明けたりするのもご縁

トモコさんの秘訣2 人との交流を絶やさない

1つ目の「仕事を通じて自分が必要な存在だと感じられる」とも関連しますが、仕事を通じていろんな人と出会うことができ、今でもその何人かと交流を持てていることが、張り合いになっているのではないかと思います。

それこそバスで顔見知りになった人とも友達になるくらいなので、人付き合いは好きですし、人間関係がもたらしてくれるものは、とても大きいと思うのです。

自分にはできなかった体験について教えてくれたり、自分では思いつかないことに気づかせてくれたり……人と交わること自体が、人生を豊かにしてくれると思うのです。

たまには相手の人の愚痴を聞いたり、私もあまり他の人には打ち明けられないようなことを聞いてもらったりしたこともあります。

人と人は支え合って生きているのですから、日々のご縁を大切にしたいと思うのです。

話し合いを行っているシニアと若い女性
写真=iStock.com/kazuma seki
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子どもが老親を訪ねるのは当然のことではない

支え合うといえば、私の13歳下の妹が関東に住んでいるのですが、しょっちゅういろんなものを送ってくれます。

高齢になった私が負担なく栄養をとれるよう、温めるだけで食べられるレトルト食品やお菓子などが多いですが、本当に頻繁に送ってくれるので「こんなにしてくれなくていいんだよ」と言ったことがありました。

すると妹は、「だって私は9歳でお母さんを亡くして、その後、ねえちゃんに育てられたんだよ。ねえちゃんは私のお母さんも同然だから、これくらいして当然でしょ」と言ってくれたのです。そんなふうに言ってもらえたことが心からうれしく、「あぁ、妹と私はお互いに支え合ってきたんだな」という思いを新たにしました。

子どもたちにも支えられていると感じることがよくあります。超高齢になった私を気遣って、孫たちを連れてよく訪ねてくれるんです。

会ったからといって、たいした話をするわけではありません。若い人には、他にやりたいことがたくさんあるはずなのに、わざわざ私のために時間を割いて来てくれることを、心からうれしく思います。

私は「子どもが年老いた親を訪ねるのは当然」とは思っていません。ありがたいことだといつも感謝しています。気恥ずかしいので、口には出しませんけどね。

高齢になると、若いころと違って、出歩いていろんな人と知り合うことはできなくなります。それと反比例するように、人と人との絆が貴重なものになっていくように感じます。

感謝の気持ちを忘れなければ、いくつになっても大切な人とのご縁は続いていくものなのではないでしょうか。