宮沢りえがベッドシーンを体当たりで演じ、絶賛された

「人の手は、触れられるということは、こんなに心地いいものだったのか」
「そうだ、ずっと待っていたのだ。ずっとこうして触れられたかったのだ。」
(『紙の月』角田光代・ハルキ文庫)

宮沢りえは、ベッドシーンがあることに迷いもあったというが、40歳になるタイミングで挑戦しようとこの役を引き受け、梨花の恋する喜びと、金銭感覚が狂っていく様をリアルに演じた。そして、日本アカデミー賞など、6つの映画賞で主演女優賞を獲得した。

もともと梨花は欲張りな女性ではなかったはずだが、本当は、夫がひとつのベッドで寝ても自分に触れないことや、子どもを産む時期を逃してしまったことにひどく傷ついていた。だからこそ、自分の体を求めてくれ、金銭的に援助すれば素直に喜んでくれる光太との関係にのめり込んでいったのではないか。

中学校時代、ミッションスクールに通っていた梨花が奉仕活動で途上国の男の子に募金を続け、ついには父親の財布から5万円を抜き取ってまで寄付したという過去も描かれる。もともと梨花は、お金はたくさん持っている人からもらって、困っている人に渡し、有効に使うべきだという考え方の持ち主だったのだ。「お金なんて、どれも同じじゃない」と光太に言うシーンが印象的だ。

インターネットバンキングがない時代だから、横領が成立

一方、小説では横領のプロセスは詳しく描かれないが、映画では、取材に基づいてかなり詳細に、かつサスペンスフルに描かれる。梨花は銀行内で定期預金証書の「書損しょそん」(キャンセルなどになり無効になった証書)を自分のシャツの胸元に入れて持ち出し破棄したり、顧客に郵送されるはずの「取引明細書」を抜き取り、自宅のキッチンのコンロで燃やしたりと、やりたい放題。銀行で数年間働き、そのシステムを知り尽くしているからこそ、簡単に抜け穴を見つけられる。映画はあくまでフィクションだが、その点は、今回の貸金庫窃盗事件にも通じそうだ。

映画の舞台は1994~95年でウィンドウズ95の登場直前、メガバンクは2000年代からインターネットバンキングなどのIT化を始める。各銀行のスマホアプリなどが普及した現在では、顧客は自分の口座に預けたお金が入ったかどうか、すぐに確認できる。吉田監督も「(当時は)銀行のシステムがまだ完全にはオンライン化されていなかったから、梨花のやり方がギリギリ成立したと思います」と語っている(劇場公開時のプレスリリースより)。