お母さんらしくなくていい

友人に家族の関係を相談するようになった頃、村田さんはSNSのツイッターを利用するようになった。それまでは、投稿には愚痴が多いと感じて「毒されて自分を見失いたくない」と思い、あえて使ってこなかったという。しかし、実際にツイッターを使って他の母親と交流をしてみると、自分と似たような人も世の中にはいるのだということがわかり、かえって気持ちは楽になった。

自分のように「ごっこ遊び」が嫌いだという人も、子どもとのスキンシップが苦手だという人もいたのだということを知った。

そんな時期、偶然ツイッターの投稿で目にとまったのが、『母親になって後悔してる』だった。

タイトルを見たとき、村田さんは自分にも後悔の気持ちがあるのかもしれないと思った。そして、手に取った本の中に、母になってから悩んできたことの答えを見つけた。

本を読んで、お母さんらしくなくていいっていう考えもあるんだって気づきました。そういえば私は昔からあれもこれも好きじゃなかったって。

お母さんだけど嫌だって思っていいんだってことが発見でした。私の「お母さん像」は、専業主婦だった母でした。おいしいごはんを作って、同じ時間にお迎えに行って、たくさん遊んであげて、受け答えは柔らかいとか、全部作りあげていました。一方で、自分が働いているということは頭から抜けていました。その像に自分が合っていないって思って苦しかったんだと気づきました。

私は私に課せられた役割が嫌なんだなっていうことがよくわかったので、子どもには「好きだよ」って言ってあげられるし、でも「これはやりたくない」って自分に言い聞かせられる。そうやって区別して心を保つことができそうだって思いました。

「自分は自分、子どもは子ども」

「子どものため」と言って自分がやりたくないことを無理にやることはやめた。友人からは子どもに対して気持ちを伝えるようにしたほうが良いというアドバイスも受けた。それを参考に、「自分は自分、子どもは子ども」と考えて関わり方を変えるようにしてみた。

子どもが私にものすごく怒ってきてそのあとにべったりくっつかれても、私はそんなに心が広くないから無理だよって言うようにしました。前は、かんしゃくで子どもに殴られても、そのあと「お母さん」って話しかけられたら「なぁに」って答えていました。

でもそれだと心が壊れちゃうから、子どもは理解できる年齢になったし、私は私を尊重して、さっき殴ってきたあなたをすぐ受け入れることはできませんって伝えます。

村田さんは、子どもの前で「完璧なお母さん」に変身するのではなく、不完全な人間のままでいることを許した。自分にできないことがあれば父親である夫や他の誰かと分かち合えばよいと考えた。思い描く理想のお母さんではなくても、それが自分なら仕方ないと受け入れるようになった。