成長に寄与する比較や競争
子どもたちは、家族のなかでは「自分が自分である」というだけで認められます。ところが、思春期の集団になると何かしらの特徴を通して、集団内の立ち位置を築いていきます。例えば、勉強ができる、足が速い、歌が上手、絵がうまいなど、そういう特徴が子どもの立ち位置として機能します。
ここで生じるのが比較や競争であり、精神科医の成田善弘先生は、思春期の子どもたちに周囲の大人がすべきこととして「比較や競争の場をなるべく増やすこと」を挙げています。比較や競争の場が少なすぎる場合(受験勉強だけ厳しい、運動しか比較する場がない等)、そこでの比較・競争に負けてしまうと、非常に傷つきが深くなってしまいます。
だからこそ、比較や競争の場を無数に提示すること、例えば、単に「走る」という一つとっても「50m/80m/100m/300m/1.5km/3km」などで子どもの特徴を見ていくことが大切になります。短距離が苦手でも、長距離なら輝ける子もいます。また、教科外の活動によって、通常の学校現場では見られない子どもの特徴が明らかになることもあります(やけにメモを取るのが上手な子ども、普段はおとなしいが音読に情緒を乗せるのが上手な子ども、さりげなく他の子をサポートするのが上手な子どもなど)。
こうした無数の場面から、大人たちが子どもの特徴を掴み、フィードバックすることで、子どもたちは「あれはダメだったけど、こっちはできる」という認識を持つことができます。ダメなことだけが提示されると傷つきが深くなりますが、無数の比較・競争の場があることで、うまくできない傷つきを支えるような体験(自分がうまくできる体験)も積むことができるのです。
大人が用意すべきは「無風地帯」でなく「安全地帯」
もちろん、比較や競争を通して直面する「現実」は、子どもたちにとって厳しいものもあるでしょう。だからこそ、大人の支えが求められます。「順位が低い子ども」「周囲よりも劣ったところのある子ども」が表に出たとしても、基本的態度を変えず、それまでと同じような日常生活を通して「どんなあなたでも大切だ」というメッセージを送り続けることが大切です。本当の意味で子どもの支えになるのは、大切な人と「ネガティブな自分」を共有し、それでも自分の存在を認められるという体験の積み重ねです。すなわち、大人が子どもに用意すべきなのは、比較や競争の存在しない「無風地帯」ではなく、比較や競争がどんな結果になろうとも自分は受け容れてもらえるという「安全地帯」なのです。