ドラマの寅子は最終回で「私は特別じゃない」と言い返した
寅子「はて? いつだって私のような女はごまんといますよ。ただ時代がそれを許さず、特別にしただけです」
(NHK連続テレビ小説「虎に翼」9月27日放送より)
これまでになく攻めた内容の朝ドラだと評判になった連続テレビ小説「虎に翼」(NHK)。9月27日で完結したが、その最終回でも、裁判官の寅子が、最高裁長官だった桂場(松山ケンイチ)と上記のように議論を交わした。
このセリフに象徴されるように、寅子は、女性が10代で結婚し家庭に入るものとされていた戦前の時代から、「女性だから」と選択肢を限定されたり能力を低く見られたりすることに「はて?」と疑問を突きつけてきた。
そして、まだ女性では前例がない高等試験司法科への合格や弁護士資格を取ること、見合い結婚をしないことなどを実現してきた。同時に、男装の弁護士・よね(土居志央梨)をはじめとする法学部時代の同級生たちと連帯し、桂場が「私は今でもご婦人が法律を学ぶことも職にすることも反対だ」言ったような差別には、たとえ女性を思いやったゆえの発言だとしても「ノー」を突きつけてきた。
女性の貧困、進学や職業での女子禁制、結婚で夫の姓になることを要求されること、父親から娘への暴力など、女性が体験するあらゆる差別の問題を盛り込んだとも言える展開に、女性視聴者からは拍手が送られる一方、一部からは「テーマを詰め込みすぎだ」「フェミニズムのイデオロギーが前面に出過ぎている」という意見も出た。
キャリア女性の先駆者であった三淵嘉子はフェミニスト?
それでは寅子のヒロインのモデル・三淵嘉子さんはどうだったのか? フェミニストであったかどうかと調べてみると、答えはイエスでありノーでもある。
もちろん女性初の弁護士、判事、裁判所長というキャリア自体は、女性の社会進出の先駆けとなり、嘉子さんはそういうシンボル的存在であった。
退官直前には日本婦人法律家協会会長となり、後進の女性裁判官、女性弁護士を導いてもきた。
しかし、嘉子さん本人が「私はフェミニストだ」と宣言したことはなかったようだ。
1984年に亡くなり、その後編まれた追悼文集『追想のひと三淵嘉子』(三淵嘉子さん追想文集刊行会)を読むと、嘉子さん本人の発言からも、元上司や同僚からの証言でも、三淵さんがフェミニストと呼ばれることには積極的でなかった様子がうかがえる。