若い女性たちの「三食昼寝付き」という甘い結婚観も批判

亡くなる1年前には「二十一世紀への私の遺言状」という記事を発表している。嘉子さんの考えがよくわかる文章なので、長めに引用させていただきたい。

「今、お母さん方は非常に迷っていますね。結婚に夢を持って妻となり母となった。ところが人間として自立すべきだと言われ、また専業主婦の生活では何か満たされないので、社会参加をしたいという。そうなると家事や育児が価値の低いものに見えてくる。しかし、どうして社会参加していいか分からない。
女性が結婚して、母親になっても、男性と同じように自立するには、自分一人だけの努力だけでは無理です。社会的施設は勿論ですが、まず夫の理解、協力がなければできません。
(中略)
 私ははじめから夫(三淵乾太郎さん)と同じ職業をもっていましたが、家にいれば、家事は私がします。裁判官を退官して家庭にいることが多くなりましたが、息子は『おふくろさんが家庭に入ってオヤジにサービスして上げるのはいいけれど、あまりそればっかりやっていると、おふくろがヒステリーを起こして、そのためにオヤジが不幸になるから適当にやってね……』と言います。

 家庭の専業主婦は、大変な忍耐を要する仕事ですね。これ程人間が生きる上に大切な仕事はないのに、建設的な満足感が乏しい。全く奉仕的な仕事なのに奉仕の充実感も得られない。それなのに若い人たちは結婚にあこがれる。人を愛することから始まる結婚にあこがれるのは分かるけれど、三食昼寝付の安易な結婚の形にあこがれるのは、どうなのでしょう。

 たとえ経済的に豊かであっても、生ぬるい愛情につつまれていても、何か自分の生きる目標がなければ『人間として生きるしるしあり』ということがなければ、結婚生活なんて些細なことで崩れてしまいます。自分のためでなく周囲の人のため、社会のために自分に負わされた責任を果たす。どんなに辛くても、そのとき人は生きていて良かったと思うのではないでしょうか」
(初出『世論時報』昭和58年6月号)

嘉子さんは性別を超え、社会貢献したいと目標を持っていた

本来はそういった意味ではないのだが、「女性の権利ばかりを主張する」というイメージで捉えられがちなフェミニストと呼ばれることを避けてきた嘉子さんの、非常に現実的で、かつ意識の高い考え方が述べられている。

この記事から35年あまり経った今読むと、「転勤もして男並みに働いて、家では家事をしろと言われても、そんなに頑張れないよ」と感じる女性も多いだろう。

果たして三淵嘉子はフェミニストだったのかどうか。それは判断しにくいが、人間として社会貢献をしたいという目標を持って生きた女性の言葉には、背筋が伸びる思いがする。

NHK番組公式Xより
村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター

1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。