為替オペレーション大失敗の正体

もう一つ、円安の問題について。日銀がETFを買うなどといった市場にお金の量を増やす行為は、いわば“お金の価値を下げる”ことです。円の価値が下がるということは、円通貨の価値を意図的に下げる=意図的に円安を導く、ということになります。

2022年に米国が政策金利を急速に引き上げたときに、日本が追随しなく、日米間の金利差が拡大し、円安が進みました。そして、やっと日本が金利を上げようとなったときに、アメリカは金利を下げる局面に入ってしまった。周回遅れとはいえ、アメリカが金利を下げようというときに日本が上げようとして金利差が縮小すれば、円高に振れるはずですが、それがなかなか振れなくて160円までいってしまった。

これは、日本の通貨の番人である日銀の信任が薄れてしまったことを、為替市場が為替レートに織り込み始めていたと言えるかもしれません。株式が4000円下がる以上に、日本の経済社会にとっては破滅的なことだと私は思っています。

円安を放置し、それに慣れてしまった株式市場が、円高への調整の局面で一気に売られてしまった。こうした組織の意識決定の遅さは日銀だけでなく、日本全体の重要課題であると言えます。

日銀がすべき株価乱高下防止策は何だったのか

今回の株価の乱高下は、ある意味、当たり前のことをやってこなかった反動だとも言えるでしょう。

当たり前にすべきこととは何だったのか。

日銀は、そもそも「異次元の金融緩和」としたわけですから、当初から出口戦略を定めるべきでした。どうすれば、金融が正常化するか。何をもって、正常化とするか。それを市場と対話して進めるべきだったのではないでしょうか。

衆院財務金融委の閉会中審査で答弁する日銀の植田総裁=2024年8月23日午前
写真提供=共同通信社
衆院財務金融委の閉会中審査で答弁する日銀の植田総裁=2024年8月23日午前

もちろん政治的なプレッシャーも含めて、さまざまな事情もあったでしょうが、数年で目標の2%にならなければ、そのときにリーダーが意思決定をして、別の方向に舵を取るべきではなかったでしょうか。それが2年どころか、何年も達成できないまま、結局うやむやになってしまいました。

日本にはどこか、失敗を許さない文化があります。それゆえ誰であっても、それを失敗と認めるのを避ける傾向があるのかもしれません。断固として「これは失敗ではない」「まだわからない」と。

日銀総裁一人が悪いわけではなく、政治家もメディアも含めて社会も責任があります。ひいては日銀に引いた弓が、自分に返ってくると言ってもいいでしょう。

今後、市場がさらに円安に振れたら、私たちそれぞれがそれぞれの立場で「これはおかしい」と言うべきだと思います。国内ではまだまだ、「円安になると、輸出業者がもうかるから」と安易な正当性を述べる人がいます。確かにそうですが、われわれ消費者のほうが輸出業者より多いのです。

「円安でわれわれの暮らしが圧迫されているんです」と、一人ひとりが声を上げていくときです。ドル160円のピークから、140円台前半が“円高”と言われる現状では今更です。