バブル崩壊後、調整文化が重石となった

高度成長期の日本企業は、〈調整文化〉のプラス側面である共感力で組織が一丸となって進むと同時に、変化や混乱を恐れず、新しい分野に挑戦しつづける気概があった。〈挑戦文化〉と呼ぶほどでなくても、需要が供給を上まわる右肩上がりの時代は、挑戦のエンジンが自然と備わり、どの組織にも勢いがあった。むしろ、安定成長に必要とされたのは暴走を防ぐブレーキの役割、日本の伝統である〈調整文化〉だった。〈調整文化〉という適切なブレーキが効いたことが日本独特の強さをもたらした、といえる。

しかし平成に入ると、供給が需要を上まわるモノが売れない時代になり、日本全体の勢いが失われた。ビジネスモデルが安定してくると、経営はどうしても守りに入る。知らず知らずのうちに〈調整文化〉のマイナス面の作用が強まってくる。まさに日本企業が活力を失い、経済が停滞した原因だ。

90年代半ば、バブル崩壊後の潮流は合理化だった。〈調整文化〉は安定走行を助けるブレーキではなく、前進をはばむ重石になってしまった。大きなミスは犯さないものの、経済成長は鈍化してしまう。“失われた30年”を生みだした悪しき組織風土だ。

豊田会長の最も大きな功績

トヨタには、失敗を恐れず挑戦を繰り返すという現場発の挑戦する姿勢が企業文化に根づいていた。まさに〈挑戦文化〉である。しかし90年代から2000年代にかけては、グループの利益を優先する守りの姿勢が強くなったように見えた。現場の〈挑戦文化〉を大切に守りながらも、グループ全体をコントロールする〈調整文化〉が優位だった。だから、安定的な経営が維持できたともいえる。

トヨタが変化したのは、豊田章男氏が社長に就任した2008年頃からだ。グループ利益を優先する内向きの姿勢はあるものの、自動車業界や産業界に働きかける外向きの姿勢が表れてきた。

例えば、積極的な社内情報の公開。他社ではまずオープンにしない労使交渉協議会の模様が、YouTubeの動画で閲覧できる。経営側と組合側が社内の問題・課題を真剣に討議する様子は緊張感が高く、観ているこちらまでピリピリしてくる。経営や組織についてヒントが詰まっているので、ぜひ一度ご覧いただきたい。社外の人間がアクセスできるのは貴重であり、こうした外向きの積極的な情報発信は〈挑戦文化〉そのものだ。

※トヨタイムズYouTubeチャンネルより トヨタ春交渉2024 第1回

豊田会長の功績はいくつも挙げられるが、組織の面では〈調整文化〉優位から〈挑戦文化〉優位へ組織を転換したことが最大の功績だと私は考えている。その結果として、過去最高益などの好業績がもたらされたのだ。