経営陣の仕事とは何か
「何言うとんねんと思うかもしれませんが、僕は若い人たちに『君たちが早くサイボウズを辞められるようになってほしいと思っています』とか言うとるわけです。ところで辞める人は自分の市場価値が分からないと転職なんてできない。社内ばかり見ていたら市場価値は把握できないから外を向きなさいと言っています。あなたの給料を払っているのは人事部なんかやない。世の中やとも言っています」
「そこまで啖呵切っとって、じゃあ経営陣の仕事は何かと言えば、そうやって焚きつけている若い人たちが、それでもサイボウズにいたいという会社にすることでしょ。そんな問題意識があって青野さんと議論したんです。今のヒエラルキーで良いのか、株主との付き合いは今のままで良いのかと。それで思い切って変えてみようかとなった。デジタルトランスフォーメーション(DX)の次はコーポレートトランスフォーメーション(CX)と言われていますけれど、それを実践しているんです」
山田は二〇二一年三月の株主総会で取締役を退任したが、副社長の肩書を残した。二〇二一年九月には副社長からも退き、現在はサイボウズチームワーク総研風土コンサルタントとしてコンサルや企業研修などを手掛ける。サイボウズ入社後に手掛け、磨いてきた内部統制や人事、財務の知見を他社とシェアする試みだ。
「興銀にいたからこそ今がある」
「サイボウズでやってきた改革は、僕が興銀にいたからこそできたんやないかな」。山田はそう語る。確かにマザーズ上場で東証や野村證券と渡り合えたのは興銀で身に付けた実務がものを言ったのだろうが、山田の発言の含意はもう一つある気がする。
百人いれば百通りの働き方があるという主張、透明性のある組織の構築にまい進すること、そして社員には外を向けと発破をかけ、かく言う自分は取締役や副社長のポストをあっさり投げだしてコンサルタントとして働く姿。
それはいずれも社会における自分の位置づけを気にして、守秘義務に慣れるあまり隠すことを何とも思わなくなり、チャレンジよりも前例踏襲を重んじ、組織内の動きに目を光らせているバンカーの生き方を反面教師としている。「興銀にいたからこそ今がある」という主張にはそんな思いも隠されているような気がする。
「興銀に入った時の同期は百三十人です。僕はあの中で百三十一番目。僕よりもはるかに頭が良くて処理能力だってあるバンカーなんてたくさんいた。市場価値だってある。でも外の世界を知らない。知ろうともしない。バンカーの手を借りたい中小企業なんてなんぼでもある。こんなこと言うのは本当におこがましいけれど、僕みたいな人間が十人とか二十人とかいれば、もっと世の中の役に立てると思うんですけれどね」
1966年、東京生まれ。日本経済新聞社で電機、商社、電力、ゼネコンなど企業社会を幅広く取材。編集委員、日経ビジネス副編集長などを経て独立。