サイボウズの東証マザーズへの上場

サイボウズに入社した山田の最初の仕事は、「ヤメ銀」だったからこそ成し遂げられたと言っても過言ではなかった。

東証マザーズへの上場だ。

東京中央部の東京証券取引所市場外の看板
写真=iStock.com/electravk
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上場にあたっては東京証券取引所や主幹事となった野村證券の審査を受けなければならなかったが、山田は興銀時代に事業会社の評価をしていたから、東証や野村が審査に当たってどこを見てくるかがわかった。

「審査の途中で東証や野村が『山田さん、資料に間違いがありますよ』とか言ってくるんです。嘘をついていたら辻褄を合わせなければならないから大変なんですけれど、単純な間違いだから『すんませーん』とか言ってすぐ直しちゃった。嘘つかんとええことあるんやね。当時、身ぎれいな会社を探しとった東証がサイボウズに目を付けて、マザーズ上場からわずか一年半で東証二部(当時)に指定替えになった」

山田はその後も管理業務を一手に引き受けた。財務を見る傍らで、ライバル企業に著作権侵害の動きがあれば弁護士と一緒に裁判所へ駆け込んだ。人手不足が問題になれば、採用活動に精を出した。そうしているうちに社員が増えたので人事評価制度も作った。

日経新聞の全面広告でガバナンス改革

副社長として最後に取り組んだ仕事がサイボウズのガバナンス改革で、これを実施するにあたり二〇二一年二月に社長の青野慶久、取締役の畑慎也と連名で日本経済新聞に出した全面広告は大いに話題となった。

〈さて、かねてより「100人100通りの働き方」を声高に叫び、様々なお客様にやれ働き方改革だ、多様な個性だと説いてきたサイボウズですが、弊社自身が全く多様性のある職場を実現できていなかったことを、ここに深くお詫び申し上げます。なんの話かといえば、弊社の取締役です。なんと、おじさん3人ですよ〉

何とも人を食ったような広告だが、実際に二〇二一年三月末、山田と畑は退任、代わりにサイボウズ社内で「我こそは」と手を挙げた十七人が新しい取締役に選任された。その中には二〇二〇年入社の新人、五人の女性、二人の米国在住者もいて社長の青野と共に新しいコーポレートガバナンスを探す旅に出た。

大胆な取締役制度を導入した仕掛け人は山田。きっかけは離職率の高さだったという。