どうにかして理解してあげる
生きているのが「いいことだ」と思うなら、理不尽な目にあうのもどこかしら「いいことだ」と思っておくしかありません。
もしもそうでないなら「死んだほうがマシ」になってしまいます。
死んでしまったら、理不尽に上司からパワハラされることはなくなります。
我が子にも夜泣きはされなくなります。家が流されることもなくなります。
しかし「死んだほうがマシ」だと思って生きていくのは、本当に消耗します。
しかたがありません。
今回だけでも「上司の言い分」を聞き取りましょう。
いったいこの「坊や」はなにを訴えているのでしょうか?
ミルクを飲ませてあげるように、取引先に連絡を入れておきました。
暖かい毛布にくるむように、プレゼンの資料を用意しておきました。
子守歌を歌ってあげるように、資料をコピーしてホチキスで留めておきました。
でも夜泣きでもするかのように、大声で騒いでいるのです。
まだなにか欲しいのでしょうか?
あなたはどうにかして、それを理解してあげたほうがいいと私は思います。どうしてかというと「その会社で生きて」いるからです。
「その会社で生きていかないことに決める」のなら、つまり転職するならそこまではしなくてよくなるでしょう。しかし、転職先にも同じような上司がいて、同じような目にあわないとも限りません。
でも、夜泣きが止まない赤ちゃんにミルクをあげたら、急に静かになることもあります。それと同じように、上司に丁寧にメールを送ったら、急におだやかになることもあります。
相手が悪くとも「共感」はできる
生きているとわけのわからないハプニングに見舞われ、それへの「正しい対処法」など誰にもわからないものです。
しかし「生きていたい」と思うとすると、そういう理不尽な目にあうのも受けいれていくしかないことになります。
少なくとも私は「死ぬ」よりは、そちらのほうを選びたいと思うのです。
なお、これが直接の口頭での叱責ではなく文書やメールだったら、プリントアウトして「熟読」してあげましょう。私のつたない物書き経験からすると、印刷物からのほうが内容を格段に詳細に読み取れます。
さっきは読み飛ばしていたところが、不思議に伝わってくることがあるのです。
心のそこから理解できたと思えると、仮に「相手が完全に悪い」としても、不思議だとは思いますが「共感」できます。
「共感」とは相手と同じ思いになれるという意味です。
「そんなはずはない」でしょう。だから不思議なのです。
しかしこれができると、「自分にはまったく非がない」と同時に「上司に共感する」ことが可能になります。
「どちらかがまちがいなく悪い世界」から抜け出せるのです。
1973年北海道生まれ。1997年獨協大学外国語学部を卒業。2004年Avila University心理学部卒業。2022年タスク管理・時間管理術であるタスクシュートの普及と、自分らしい時間的豊かさの提唱を目的として「一般社団法人タスクシュート協会」を設立。タスクシュートのユーザー数は、25000人を超える。著書に、ベストセラーとなったハックシリーズ『スピードハックス』『チームハックス』(日本実業出版社)のほか、『iPhone情報整理術』(技術評論社)、『イラスト図解 先送りせず「すぐやる人」になる100の方法』(KADOKAWA)、『クラウド時代のタスク管理の技術』(東洋経済新報社)、『なぜ、仕事が予定どおりに終わらないのか?』(技術評論社)、『やめられなくなる、小さな習慣』(ソーテック社)、『人生100年時代 不安ゼロで生きる技術』(三笠書房)、『先送り0』(技術評論社)など。ポッドキャスト「働く人に贈る精神分析チャット(グッドモーニングボイス)」を平日にSpotifyから配信中。