他人をジャッジせず、その人が置かれている状況を理解する
「正しいのは誰か?」という問いは、忘れてください。
人と生きる限りにおいて、おそらくどこにも使い手のない不毛な問いです。誰しも、自分の目線で「正しい」ことをしているはずですから、議論は平行線をたどります。
ちなみに、「正しい」の部分は、こういう言葉にも置き換わります。「仕事ができる・できない」「頭がいい・悪い」のはどっち? もついつい、脳内を駆け巡ってしまう、間抜けな問いの1つです。
しかしいずれも、私たちが一生懸命になってすべきことではありません。
自分や他者をジャッジメンタルに見るのではなく、ただただ、
「今は状況・場の歯車が噛み合っていない“状態”に陥っているのだな」
ととらえることなのです。
そのうえで、
「さてこの歯車を、どう噛み合わせていこうかな? ちょっと考えてみようっと」
――これが、職場のいざこざを紐解く第一歩になります。
現に、先の登場人物たちは、今はそれぞれがまったく違う状況で、「パワハラ上司」でもなければ、「使えない新人」でもないのですから。「環境を変えよう」と発想しました。またそれが、功を奏した事例でもあります。
ゆえに、自分に問うべきもまずは、
「俺(私)って、ほんとにやばいのかも? ああ眠れない、どうしょう」ではなく、
「いまちょっと調子悪いな……。どこが噛み合わないのかな? 変えられるところはあるのかな?」なのです。
この思考は、何より現場に則した現実的な思慮です。
自分の能力不足と落ち込まず、転職することで環境を変えた
自分って……と掘れど掘れど、不安感と妄想が広がるばかり。先ほどのMさんも、確かに前職の旅行会社では「傷つき」ましたが、そのあと、自分自身の「能力」の問題だと意気消沈することなく、転職することで、環境を自ら調整しました。
彼の思考プロセスは、今考えても見事な判断だったと思います。
加えて、新天地でうまく立ち上がれたのは、環境を変えたことだけではなく、自分自身の解釈や言動のパターンをよくよく内省したことも大きな一因です。
誰が悪いのか? あの環境はどのくらいひどいところなのか? などともんもんと考えつづけるのではなく、人と人、人と環境は互いに影響を受け合っているのだというメカニズムを理解したうえで、彼は、自身が陥った一定のパターンには自覚的になっていました。
「圧力がかかると、委縮して、ひるんでしまうのだな」
「聞くべきことも聞かずに進めることを、“できるやつ”と思い込んでいたな」
など、苦々しい過去のしくじりであろうと、少し引いて、振り返っていたのです。
――これは「能力」ではなく、振り返りの習慣として非常に卓越したものだと感じます。さらに付け加えるなら、Mさんご自身の苦い経験を、今いる会社で存分に活用しているといいます。
どんなに忙しくても、自分もプレイングマネジャーとして余力をなくしているときでも、チームメンバーの口を塞がないことを徹底すると。質問しにくくする、報告しにくくする、提案しにくくする、それらの行き着く先の悲惨さを知ってますから。
今となってはそう語るのです。これほど活きた学びがあるでしょうか。
組織開発専門家。1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に独立。組織開発を専門とする。二児の母。2020年から乳がん闘病中。著書に『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。