天寿をまっとうするまで、元気でボケずに自分が料理したものを食べる。料理研究家・荻野恭子さんの母・阿部ハルさんは、この習慣を103歳まで実践した。世界中の家庭料理を研究してきた“娘”のアドバイスで実現した、何歳までも続けられる調理方法とは――。

※本稿は、荻野恭子『103歳の食卓 母とつくり上げた卓上クッキング』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

ハサミでチャイブを切っている男性の手元
写真=iStock.com/Capuski
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103歳まで続けられる料理術とは

母は令和3年6月に、103年の天寿をまっとうし、自分のベッドで安らかに人生の終日を迎えました。私も70歳になり、やれこっちが痛いとか、あそこの調子が悪いなどと、もう若くはないことを実感するようになった今、100歳を超えてもなお自力で生活をしていた母の凄さに改めて感動を覚えるようになりました。母の日々の生活の中に、最期まで元気でいるためのヒントがたくさん詰まっていたのだ、と気がつきました。

私は今まで多くの国に旅をして、その土地で料理を習い、日本でつくれるレシピに置き換えて、世界の家庭料理を楽しんでいただく提案をしてきました。しかし、母が亡くなってからは、間近に見てきた「母の生活の知恵」を一人でも多くの方々にお伝えすることこそが、料理研究家の私にできる集大成となる仕事なのではないか、と思うようになりました。

※『103歳の食卓』より 一人用ホットプレートと卓上調味料で、座ったまま調理を続けられた。
写真=鈴木泰介
※『103歳の食卓』より 一人用ホットプレートと卓上調味料を用意して、食卓で座ったまま調理を続けることができた。

「料理をやめたらボケるよ」に奮起

母は103歳で亡くなるまでに、私に3回「主婦をやめる」と言いました。3回とは、夫の死、同居している私の姉の退職、そして自身の怪我でした。母にとっての主婦とは、家族のために料理をすること。「もう料理をしない」と言うのです。その都度、「料理をやめてしまったらボケちゃうよ」と、私は言いました。

母はボケたくないという一心で3回とも主婦を続ける、つまり料理をつくり続ける決心をしました。料理とお酒を楽しむことが大好きだったことと、ボケるということに、強い抵抗感を抱いていたからです。毎日の料理と食事。それが10年、20年、30年と積み重なって最期まで健康な生活が営める……。身をもって私に教えてくれたことに感謝しています。