「日本語が上手すぎる大使」として注目される駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバさんは、日本の高校を出た後、早稲田大学に進学し、卒業後、老舗企業キッコーマンで働いていた。レジャバさんは「キッコーマンに3年間勤務しました。それまでの学校生活で集団行動には慣れていましたが、以心伝心の意思伝達、会社と一体化する社員の仕事ぶりには衝撃を受けました」という――。

※本稿は、ティムラズ・レジャバ『日本再発見』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

早稲田大学を出て、老舗企業のキッコーマンに入社した

私がキッコーマンに入社したのは、学生向けの新卒採用枠ではなく、外国人採用枠でした。早稲田大学を卒業する前、一般的な就活シーズンはとっくに終わっている時期に、たまたま見つけたのです。私の父は発酵の研究もしていましたから、醤油という大豆を発酵させて作る調味料のメーカーに多少の縁や興味を感じなかったわけはなく、運良く最終面接まで進むことができました。

駐日ジョージア大使、ティムラズ・レジャバ氏。ジョージア大使館サイトより
駐日ジョージア大使、ティムラズ・レジャバ氏。(ジョージア大使館サイトより)

こんな私を拾ってくれたキッコーマンは、非常に懐が広い会社だと思います。

と同時に、明治20年(1887年)に結成された野田醤油醸造組合を前身とする歴史ある日本企業だからこそのしきたり、組織の力学が強固に存在していました。

日本には大企業が多く、ジョージアは中小企業が多いのですが、両国の違いはそれだけではありません。ジョージアでは、ソ連崩壊によって体制が変わったとき、それまでの企業が解体される事態も起こりました。ですから日本のように100年、200年続いている長寿企業がほぼ存在しないのです。ほとんどの企業は1990年代初頭に独立した後に設立された、新しい会社なのです。したがって社内ルールも意思決定プロセスは日本の老舗企業のように複雑ではありません。

ジョージアには少ない「100年企業」の次元が違う集団行動

私がキッコーマンで最初に衝撃を受けたのは、集団行動に対する意識の高さです。「これが日本企業か」と感じました。

私は幼少期から約15年にわたって日本に住んでいましたから、ほかの日本人と同じくらい日本のことがよくわかっているだろうし、十分になじめるはずだと思っていました。学生時代には早稲田の和敬塾で寮生活も経験し、「これで日本社会で求められる集団生活について、だいぶわかった」と思っていたのですが、会社に入ってみると、さらに一線を画す視界が会社生活では広がっていたのです。「これはまた次元が違うな」と面食らいました。

たとえば、会社で何か説明があると、それを行動に移したり、何かをこなしたりする必要が生じます。キッコーマンでは会社のメンバーみんなが一瞬ですべてを理解してうまく担当を割り振り、実現に向けて阿吽あうんの呼吸で動いていました。最初の方針説明自体は、受け取る個々人によって解釈の幅があるように私には感じられたのですが、組織内で齟齬そごが出ないように管理職が咀嚼そしゃく・調整して現場に伝播し、役割分担していくのです。