出て行ってしまえば二度と戻っては来られない

「当時、やれることは全部やりましたね。なるべく物を置かないようにして、壊れるものはガードして、窓も玄関も常に施錠して。家中の棚の扉も、開かないようにきつく紐で縛りました。彼は話せないから、万が一にも突発的に外に出て行ってしまったら、彼はきっと家に二度と戻ってこれない。そういうことを理解して、私だけでなく、当時高校生だった歩も、歩の一つ下の広己も、秋人の安全に配慮してくれていました」

あの時、秋人くんは3歳ぐらいだったろうか。何か不思議な声を出しながら、部屋中をはしゃぎ回り、いつ、どう、気が変わるかわからない、突発的な激しい行動を繰り返す様子に私は目を奪われた。

ぶどうパンのぶどうだけをほじくって食べ、パンをぽいっと捨てるのを、他の子どもたちが「アキトー、だめだよー」と声をかけながら面倒を見ていた姿が印象深い。

それが今や、細身ながらシュッと背が伸び、春から高校生だというのに、大きな身体で坂本さんにベタベタとくっついて甘えていたかと思うと、歩くんの声かけにはちゃんと従って行動を起こす。何という、成長なのだろう。

成長のリズムが違うだけ

「オムツからウンチを取って投げるとか、うちに来た時のアキくんは、人間ではなかった。気持ちを言葉で表現できないから、本能的な激しさで全てをぶつけてくる。その本能の一つ一つの意味をああでもないこうでもないと解読して、じゃあどうしたらいいのかということを考えては、全部やっていったの」

坂本さんが一番悩んだのは、言葉を持たない障害の重い子に愛着をつけていくにはどうすればいいんだろうということだ。

「考えた結果、言葉がダメならスキンシップだと思って。だから、秋人のことは手元から離さなかった。ずっと一緒にいたし、ずっと抱っこしていたし、寝る時も一緒だったし、トイレにもおぶって連れて行って。ずっと『あなたを大事に思っている』ということを一緒にいることで伝え続けたの。睡眠障害だから、夜も寝なくてね、遊んだり、喋ったりしていたなあ」

そんな秋人くんとの日々は、どれほど苛酷だったろう。想像して問うと、坂本さんはあっけらからんと笑い、頭を振る。

「私、この子に腹が立ったことなんてないよ。ものすごく可愛いくて、アキくんの成長が感じられる毎日が幸せでたまらないの。事件になった津久井やまゆり園の方は人ごとに思えなかった。施設に行っていたら、この子も、そういう運命だったかもしれない。でも今の秋人は、これが食べたい、どこに行きたいって、ちゃんと自分の気持ちを出すことができるから。それは家庭で、家族からたくさんの愛情を受けて育ったからだと思う」

この春、特別支援学校の中学校を卒業した秋人くんは、最後にお世話になった先生に「ありがとう」と言ったのだという。

「それを聞いて、本当に驚きました。単語の意味を理解して言ったわけではないと思います。ただ、先生になんとか、自分の気持ちを伝えたいという思いがあって、頭の中にインプットされている、大好きなEテレで得たメッセージや、好きなDVDの中の言葉とか、そういうもののイメージを繋ぎ合わせることで、『ありがとう』って言えたんだと思う。本当にすごいなと思った。心はもう、確実に成長している。知的な遅れのある子って、成長しないって思われているけれど、確実に成長はしていく。その子なりの成長のリズムがあって、みんな違うだけ。そこが、面白いの。未だに秋人の成長は止まらないし、伸び代をすごく感じています」