日本では、虐待されて保護された子どもの多くが、里親などの家庭ではなく「施設」で育つ。日本の里親委託率の低さは各国と比べると明らかで、国際的批判を受けているのが現状だ。40年で19人の子どもを育てた里親のベテラン、坂本洋子さんは「家庭で、たくさんの愛情を受けて育つことが、子どもの健やかな成長には必要不可欠。あなたは大切な存在なんだよと思い、伝えつづければ、子どもの心は確実に育っていく」という――。

※本記事の情報は取材時のものです。

小さな息子を抱きしめる親
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです

親がいれば

親のいない子って、社会で、こんな扱いを受けるんだ……。坂本洋子さん(67歳)が養育里親になって初めて預かった里子の純平くん(仮名)が、バイク事故により17歳で短い命を終えたときに、思ったことだった(前編)。

「生前に純平は、『施設にいるとイライラして、壁に穴を開けてしまうから、手が痛いんだよね』って言っていたの。当時それを聞くたびに、胸が痛かった。親がいればって」

純平くんの死は、あまりにもつらく悲しく、重いものだった。

「現実のことと受け止めるには、時間がかかりました。簡単に切り替えできるわけもなく、時間の経過とともに咀嚼していくしかなくて」

純平くんの死後、坂本さんには決めたことがある。

「これからは、障害のある子だけを預かろうと。里親制度自体の理解がなかなか得られず、こんなに大変なら、障害のある里子たちを預かるのは並大抵のことじゃないはず。でも、今の私なら、何でもできるなって思った。人の裏表の怖さも知ったし、こんなに悲しい、つらいことが起きて、もうこれ以上に怖いことなんて何もないって思ったから。どれだけ大変でもやるって決めたんです」

言葉より必要なこと

児相にその意向を伝えてから、最初に来たのは聴覚に障害のある女児だった。手話を習ったことのない子だったので、一緒に手話を覚えながら、意思疎通を図っていった。

「気持ちさえあれば人間って、コミュニケーションが難しくても、こんなにちゃんと一緒に暮らせるんだということを彼女から学びました。あなたは大切な存在なんだよっていう気持ちがあれば、言葉がなくとも思いは通じるんだって」

これまで預かった里子の中でも、最も障害の重い子が、秋人くん(仮名、15歳)だった。重い知的障害を伴う自閉症で、言葉によるコミュニケーションも難しい。彼を預かる際に坂本さんが聞いたのは、母親が産む前から育てないと決めていた子だったということだけだった。母親は産んだ子に障害があることすら知らないらしく、では名付け親は誰なのか。夏に生まれたのに「秋人」と名付けられた理由も、わからない。

「アキくんは、2歳でこの家に来たの。『坂本さんが受けなければ、この子は施設に入ることになります』って、子ども思いの児相の担当に言われてね。これほど障害の重い子が一度施設に行けば、里親家庭に出ることは二度とないわけで。大勢の中の一人で生きていく人生が待っているわけです。そんなの『やります』としか言えないじゃない。覚悟して受けました」

秋人くんが来る前と来た後の両方に坂本家に訪れた私は、部屋の様子の変貌にひどく驚いた。

出て行ってしまえば二度と戻っては来られない

「当時、やれることは全部やりましたね。なるべく物を置かないようにして、壊れるものはガードして、窓も玄関も常に施錠して。家中の棚の扉も、開かないようにきつく紐で縛りました。彼は話せないから、万が一にも突発的に外に出て行ってしまったら、彼はきっと家に二度と戻ってこれない。そういうことを理解して、私だけでなく、当時高校生だった歩も、歩の一つ下の広己も、秋人の安全に配慮してくれていました」

あの時、秋人くんは3歳ぐらいだったろうか。何か不思議な声を出しながら、部屋中をはしゃぎ回り、いつ、どう、気が変わるかわからない、突発的な激しい行動を繰り返す様子に私は目を奪われた。

ぶどうパンのぶどうだけをほじくって食べ、パンをぽいっと捨てるのを、他の子どもたちが「アキトー、だめだよー」と声をかけながら面倒を見ていた姿が印象深い。

それが今や、細身ながらシュッと背が伸び、春から高校生だというのに、大きな身体で坂本さんにベタベタとくっついて甘えていたかと思うと、歩くんの声かけにはちゃんと従って行動を起こす。何という、成長なのだろう。

成長のリズムが違うだけ

「オムツからウンチを取って投げるとか、うちに来た時のアキくんは、人間ではなかった。気持ちを言葉で表現できないから、本能的な激しさで全てをぶつけてくる。その本能の一つ一つの意味をああでもないこうでもないと解読して、じゃあどうしたらいいのかということを考えては、全部やっていったの」

坂本さんが一番悩んだのは、言葉を持たない障害の重い子に愛着をつけていくにはどうすればいいんだろうということだ。

「考えた結果、言葉がダメならスキンシップだと思って。だから、秋人のことは手元から離さなかった。ずっと一緒にいたし、ずっと抱っこしていたし、寝る時も一緒だったし、トイレにもおぶって連れて行って。ずっと『あなたを大事に思っている』ということを一緒にいることで伝え続けたの。睡眠障害だから、夜も寝なくてね、遊んだり、喋ったりしていたなあ」

そんな秋人くんとの日々は、どれほど苛酷だったろう。想像して問うと、坂本さんはあっけらからんと笑い、頭を振る。

「私、この子に腹が立ったことなんてないよ。ものすごく可愛いくて、アキくんの成長が感じられる毎日が幸せでたまらないの。事件になった津久井やまゆり園の方は人ごとに思えなかった。施設に行っていたら、この子も、そういう運命だったかもしれない。でも今の秋人は、これが食べたい、どこに行きたいって、ちゃんと自分の気持ちを出すことができるから。それは家庭で、家族からたくさんの愛情を受けて育ったからだと思う」

この春、特別支援学校の中学校を卒業した秋人くんは、最後にお世話になった先生に「ありがとう」と言ったのだという。

「それを聞いて、本当に驚きました。単語の意味を理解して言ったわけではないと思います。ただ、先生になんとか、自分の気持ちを伝えたいという思いがあって、頭の中にインプットされている、大好きなEテレで得たメッセージや、好きなDVDの中の言葉とか、そういうもののイメージを繋ぎ合わせることで、『ありがとう』って言えたんだと思う。本当にすごいなと思った。心はもう、確実に成長している。知的な遅れのある子って、成長しないって思われているけれど、確実に成長はしていく。その子なりの成長のリズムがあって、みんな違うだけ。そこが、面白いの。未だに秋人の成長は止まらないし、伸び代をすごく感じています」

親のいない子どもを取り囲む現実…あまりにも多い「虐待」による保護

ここで少し、日本の里親制度について説明したい。坂本さんが預かり育てている里子たちは、虐待などで親と暮らせなかったり、保護者がいなかったりする子どもたちで、「要保護児童」と呼ばれている。このような子どもたちは公的な責任として社会が育てなければならず、これを「社会的養護」と呼ぶのだが、この言葉をこれまで耳にしたことはあるだろうか。

恥ずかしながら、私も取材で聞くまでは、聞いたことも使ったこともない言葉だった。それほど親と一緒に暮らすという、「普通」の環境にいない子どもたちは、よほど目を凝らして注意深く見つめなければ、社会から見えない存在となっている。

日本では現在、約4万2000人の子どもが社会的養護の対象となっているが、理由は「虐待」が他を圧倒しており、その数は年々増えるばかりだ。

社会的養護の場で育つ子どもたちは、どんな場所で暮らしているのか。

最も多いのは児童養護施設で、乳児院や児童自立支援施設など「施設」で育つ子どもが8割ほどを占める。坂本さんのような「里親・ファミリーホーム」という「家庭」で育つ子どもの割合は、極めて少ないのだ。

各国の里親委託率を見れば、日本が23.5%なのに対し、オーストラリアは92.3%、カナダは85.9%、イギリスが73.3%と、多くの国では里親などの「家庭」で育つことが当たり前になっている。施設養護に偏っている日本は国際的非難を受け、国は里親委託を推進しているが、その歩みは遅々としているのが現状だ。

また、ひとえに里親と言っても種類があり、坂本さんや歩くんが担う「養育里親」とは、養子縁組を目的とせず、要保護児童を養育する里親のこと。他に「親族里親」や専門的知識を有する「専門里親」、養子縁組を目的とした「養子縁組里親」がある。里親には「措置費」という手当が支給され、2024年1月の記録によれば、養育里親の場合、9万円(2人目以降:9万円)、専門里親の場合、14万1000円(2人目:14万1000円)となっている。

そのほか、食費、被服費、日用品代に子どものお小遣いなど、里子の生活にかかる一般生活費が、乳児1人あたり6万2020円、乳児以外5万3710円が毎月支給されるほか、教育費、医療費など、自治体による、さまざまな加算がある。このように東京都は加算が高いため、坂本さんも19人を預かるということが現実に叶ったのかなと思う。

一方、子どもの心身の成長を考えるとそのつど必要になる塾代(中学からは支給される)やレジャー代などのもろもろの費用は含まれないため、里子が大きくなるごとに家計の負担が増えたり、支給はされるものの立て替える期間があったり、自治体によっては加算が低かったりするのが、国内で里親制度が進まない一因になっているのかもしれない。

ちなみに養子縁組には実親との親子関係が消滅せず、実親の名前も戸籍に記載され、続柄が「養子(養女)」と記載される「普通養子縁組」と、実親との関係が消滅し、戸籍の続柄は「長男(長女)」と記載される「特別養子縁組」があるなど、調べてみると複雑で、ニュースでは一括で「里親」と表現されるが、里親と実親のトラブルの背景にもさまざまな事情があることが想像できる。

坂本家から巣立った里子たちのその後

これまで巣立っていった19人の里子のうち、何名かには何度か取材し、その後の様子を聞くなどしている。

例えば3歳で坂本家に来た広己くん(28歳)は今、九州の離島で公務員になり、生活相談にのったり、支援や援助を行ったりするソーシャルワークの業務に就いている。以前取材したとき、彼は「生みの母の顔は思い出せない」と語っていた。

今から約25年前、通報されて児相職員が駆けつけたアパートには、幼い広己くん一人だけが取り残されていたという。

「母は、シングルマザーだったと思います。もちろん父親というのもいたんでしょうが、母は一人だった。当時にもう少し、シングルマザーへの支援があったなら、また今の僕と母の関係は違ったのかなぁって……」(広己くん)

苦しそうに言葉を吐いたあとに、悔しそうに唇を噛んでいだ。だから今、広己くんはソーシャルワーカーとして働いているのだろうか。

一方、坂本さんと共に「坂本ファミリーホーム」の里親をしている歩くんは、大学院で数学を専攻していたが、坂本家に残り養育里親になる道を選んだ。

大学生の時に、歩くんは取材でこう語っていた。

「ぼくは、広己のようには、お母さんに甘えることができない。遠慮があって。でもこの前、ものすごく勇気を持って、お母さんと喧嘩しました」(歩くん)

坂本さんは、歩くんのことをこう語る。

「歩はずっと、優等生でお利口さん。3歳でうちに来た広己に対して、歩は小1でやっと家庭というものに入ったの。施設を転々として育つうちに、嫌われないように、捨てられないように、鎧をかぶって、自分を隠して生きるクセがついたんだと思う。だから、本音を出すのが得意じゃなくて、それは今でもそう。私はそれをどうやって引き出すか、いろんなチャレンジをしてきているんだけど。20歳のころに一度大喧嘩してからは、ちょこちょこ喧嘩するようになって、その前よりは歩も思っていることを言えるようになったかな」

子どもたちの誕生日を祝う飾り付けがされていたのが印象的だった
撮影=プレジデントオンライン編集部
「わたしは、里子は実年齢ではなく、この家に来てから過ごした年が本当の年齢だと考えているの」。安心できる場所に辿り着いてから、ようやく、その子の本当の人生が始まるのだ。部屋の壁に、子どもたちの誕生日を祝う飾り付けがされていたのが印象的だった。

そんな歩くんの本音に坂本さんが触れた気がしたのは、養子縁組を組むかどうかという話し合いをしたときだった。

養子になれば失うもの

前提として、里親が預かる子どもと、「養子縁組」をして家族の一員として迎える子どもは、イコールではない。どういうことかというと、実親が児相に預けた時点で、その子が里子になるか、養子縁組に出されるかは決まっているのだ。そのため、里子が、里親と暮らすうちに養子縁組をすることを望んだとしても認められることはないが、里子が18歳を超えるとそれが可能となる。歩くんと坂本さんが、養子縁組の話をしたのも、20歳になったときだった。

歩くんには、両親と兄と姉がいることが分かっている。家族に障害があるため、今後家族が生活保護を取得するとなれば、扶養義務が歩くんに生じる恐れがある。歩くんが一切養育されたことがないにもかかわらず、だ。弁護士の勧めもあり、坂本さんは歩くんを守るために、養子縁組を持ちかけた。が、そのときに返ってきた歩くんの答えは、思いもしないものだった。

「それは僕の家族の問題だから、お母さんには関係ない。自分のために坂本姓になるということは、僕はしたくない」

その言葉を聞いて、坂本さんは何かに殴られたような思いだったという。

「そのとき気づきました。彼らが親からもらったものって、名前しかないんです。母親の顔も知らないし、他には何もない。苗字しか、彼の出生に関することは何も残ってなかったから。その苗字まで手離したら、自分を生んだ母親とのつながりが、もう全部本当になくなってしまう。この子たち、そんな崖っぷちで、ずっと生きてきたんだって、その言葉を聞いてはじめて気が付いたんです」

しかし、その後歩くんは坂本家に養子に入っている。

「自分のために坂本姓になるということはしない。けれど、お母さんもそのうち高齢になるし、今後、坂本家の子どもたちが帰る場所を守るためなら、僕は坂本姓になりますって、歩から言ったんです。里子たちのためになるのならって。そうしてまで、彼はここを守るって言ったんだよ。どれほどの思いで、それを決めたかと思うと……」

歩くんだけでなく、広己くんも、他の里子たちもみんな、坂本さんには見えないように気を遣いながら「自分の親は、今どこで、どうしているんだろう」とネットで探しつづけていると思うと、坂本さんは語る。

それは育ての親である坂本さんにとっては、複雑なことではないのだろうか。

「それはないね。自分がどう生まれたか、親がどこでどうしているか知りたいと思うのは、人として当たり前のことだから。それに、私は彼らを自分のものにしておきたいなんて思ったことは一度もない。私の親がかなりきついことを私に言うのは、私を、自分の所有物だと思っているからだと思うの。でも、預かって今日までも、これからも、彼らは私のものではなく彼らのものだし、彼らが幸せだったらそれでいいんです」

だから、里親はやめられない

不妊治療の末に、里子や養子縁組を検討する夫婦がぐんと増えてきた昨今。認知も進み、キャリア支援なども、以前と比べるとぐんと整ってきた。これから里親になりたい人へ、坂本さんはどんな思いをバトンにして繋げたいのだろう。

「自分の幸せももちろんあっていいのだけれど、あくまで子どものための制度なので。いいこともあれば、悔しいこともたくさんある。だけど子どもたちとの出会いが、確実に自分の幸せに繋がっていくから、子どもと一緒に、自分を育てていく姿勢でやってほしいと思います。私は、これを人生の貯金がたくさんできるという言い方をしていて。その子その子によって違う喜びを、新たな視点を、私はたくさん貰ってきているの。ギフトをたくさんもらってきている。だから、里親はやめられない」

坂本さんが、これまでに預かった19人の子どもに願うことはただひとつ。

「死ぬときに、『ああ、オレの人生、悪くなかった。幸せだったな』と思って終わってくれたら。だから、家庭では、いっぱい喋ったね、遊んだね、楽しかったねっていう思い出を、これからも、なるべくたくさん作りたいと思っています」

坂本家ではクリスマスには、家族みんなで飾り付けをすることになっていて、これは最初の里子である純平くんを迎えてから始めたこと。純平くんが亡くなった後は、天国の純平くんからも、ちゃんと坂本家が見えるように、家の中だけでなく、家の外壁を丸ごと、イルミネーションで飾るようになった。空の上にも届けられる唯一のクリスマスプレゼントを、みんなで心を込めて飾る。

ぶどうの木の枝のみんなは、今も1つの太い幹でしっかりと繋がっている。