養子になれば失うもの
前提として、里親が預かる子どもと、「養子縁組」をして家族の一員として迎える子どもは、イコールではない。どういうことかというと、実親が児相に預けた時点で、その子が里子になるか、養子縁組に出されるかは決まっているのだ。そのため、里子が、里親と暮らすうちに養子縁組をすることを望んだとしても認められることはないが、里子が18歳を超えるとそれが可能となる。歩くんと坂本さんが、養子縁組の話をしたのも、20歳になったときだった。
歩くんには、両親と兄と姉がいることが分かっている。家族に障害があるため、今後家族が生活保護を取得するとなれば、扶養義務が歩くんに生じる恐れがある。歩くんが一切養育されたことがないにもかかわらず、だ。弁護士の勧めもあり、坂本さんは歩くんを守るために、養子縁組を持ちかけた。が、そのときに返ってきた歩くんの答えは、思いもしないものだった。
「それは僕の家族の問題だから、お母さんには関係ない。自分のために坂本姓になるということは、僕はしたくない」
その言葉を聞いて、坂本さんは何かに殴られたような思いだったという。
「そのとき気づきました。彼らが親からもらったものって、名前しかないんです。母親の顔も知らないし、他には何もない。苗字しか、彼の出生に関することは何も残ってなかったから。その苗字まで手離したら、自分を生んだ母親とのつながりが、もう全部本当になくなってしまう。この子たち、そんな崖っぷちで、ずっと生きてきたんだって、その言葉を聞いてはじめて気が付いたんです」
しかし、その後歩くんは坂本家に養子に入っている。
「自分のために坂本姓になるということはしない。けれど、お母さんもそのうち高齢になるし、今後、坂本家の子どもたちが帰る場所を守るためなら、僕は坂本姓になりますって、歩から言ったんです。里子たちのためになるのならって。そうしてまで、彼はここを守るって言ったんだよ。どれほどの思いで、それを決めたかと思うと……」
歩くんだけでなく、広己くんも、他の里子たちもみんな、坂本さんには見えないように気を遣いながら「自分の親は、今どこで、どうしているんだろう」とネットで探しつづけていると思うと、坂本さんは語る。
それは育ての親である坂本さんにとっては、複雑なことではないのだろうか。
「それはないね。自分がどう生まれたか、親がどこでどうしているか知りたいと思うのは、人として当たり前のことだから。それに、私は彼らを自分のものにしておきたいなんて思ったことは一度もない。私の親がかなりきついことを私に言うのは、私を、自分の所有物だと思っているからだと思うの。でも、預かって今日までも、これからも、彼らは私のものではなく彼らのものだし、彼らが幸せだったらそれでいいんです」
だから、里親はやめられない
不妊治療の末に、里子や養子縁組を検討する夫婦がぐんと増えてきた昨今。認知も進み、キャリア支援なども、以前と比べるとぐんと整ってきた。これから里親になりたい人へ、坂本さんはどんな思いをバトンにして繋げたいのだろう。
「自分の幸せももちろんあっていいのだけれど、あくまで子どものための制度なので。いいこともあれば、悔しいこともたくさんある。だけど子どもたちとの出会いが、確実に自分の幸せに繋がっていくから、子どもと一緒に、自分を育てていく姿勢でやってほしいと思います。私は、これを人生の貯金がたくさんできるという言い方をしていて。その子その子によって違う喜びを、新たな視点を、私はたくさん貰ってきているの。ギフトをたくさんもらってきている。だから、里親はやめられない」
坂本さんが、これまでに預かった19人の子どもに願うことはただひとつ。
「死ぬときに、『ああ、オレの人生、悪くなかった。幸せだったな』と思って終わってくれたら。だから、家庭では、いっぱい喋ったね、遊んだね、楽しかったねっていう思い出を、これからも、なるべくたくさん作りたいと思っています」
坂本家ではクリスマスには、家族みんなで飾り付けをすることになっていて、これは最初の里子である純平くんを迎えてから始めたこと。純平くんが亡くなった後は、天国の純平くんからも、ちゃんと坂本家が見えるように、家の中だけでなく、家の外壁を丸ごと、イルミネーションで飾るようになった。空の上にも届けられる唯一のクリスマスプレゼントを、みんなで心を込めて飾る。
ぶどうの木の枝のみんなは、今も1つの太い幹でしっかりと繋がっている。
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。