ライアンのモデル・内藤頼博が書き残したカミソリ事件

三淵さんがまだ和田姓で、東京地方裁判所の民事事件を担当しておられたとき、ある夜のこと、突然、私の家を訪ねてこられた。今日、訴松の当事者のお婆さんに、洗面所でいきなり刃物を向けられ、刺されそうになった、というのである。危く難を逃れたが、そのことで私を訪ねられたのであった。その出来事は、私も役所で耳にしていた。裁判所の中で、関係者が興奮のあまり狂気を発する例は、ときに聞かないでもない。私は、和田さんもとんだ災難にあったものだぐらいの気持ちで、その話をきいていた。しかし、その夜の和田さんは、真剣であった。相手を責めるのではない。当事者をそういう気持ちにさせた自分自身が裁判官としての適格を欠くのではないかという、深刻な苦悩をうったえられたのである。

これは、裁判官にとっても深刻な問題であろう。事件とのかかわり会いならば、忌避・回避ですむことである。しかし、これはもっと根本的な、人間としてのかかわり合いの問題である。そこに、人間が裁判をする限り、誰しも逃れることのできない苦悩がある。考えようによっては、こんどの場合は、たまたま当事者の行動によって示されたから、まだいいともいえる。行動に現れないままの不満不信は、どんなに多いことか。私は、その夜、法を司る者が負う宿命について、裁判というものの悲劇性について、夜がふけるまで和田さんと語り会った。

(内藤頼博 三淵嘉子さんの追想文集刊行会編『追想のひと三淵嘉子』)

「女性裁判官だから」事件を表沙汰にしなかったのか

佐賀千惠美『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社)
佐賀千惠美『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社)

裁判の当事者は、自分の主張が通らない、結果に納得がいかない苛立ちなどから、裁判官や弁護士に怒りの矛先を向けることもありえます。この事件は正直、ケガを負うリスクもあったわけですし、カミソリを向けた人を犯罪者として警察に被害届を出そう思えばできたはずですが、嘉子さんはそうはせず、記録にも残しませんでした。

嘉子さんがこの事件を表沙汰にしなかったのは、「これだから、女性はダメだ」「女性には無理だ」と思われてしまうことを恐れた面もあるでしょうが、何より自身の裁判官としての資質について、内省したということであったと思います。

嘉子さんの事件も詳細はわかりませんが、裁判官に限らず、そうしたリスクはあります。後に嘉子さんが自分が裁判所長になったとき、調停室に防犯ブザーをつけたというエピソードもあります。そういった安全面に気を配るようになったのは、このときカミソリを向けられた経験があったからかもしれませんね。

取材・文=田幸和歌子

佐賀 千惠美(さが・ちえみ)
弁護士

1952年、熊本県生まれ。1977年、司法試験に合格。1978年、東京大学法学部卒業。最高裁判所司法修習所入所。1980年、東京地方検察庁の検事に任官。1981年、同退官。1986年、京都弁護士会に登録。2001年、京都府地方労働委員会会長に就任、佐賀千惠美法律事務所を開設。著書に著書に『刑事訴訟法 暗記する意義・要件・効果』(早稲田経営出版)、『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社、2023年)、『三淵嘉子の生涯~人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社、2024年)