ドラマ「虎に翼」(NHK)のモデル、三淵嘉子さんの家族に取材し本にまとめた弁護士の佐賀千惠美さんは「嘉子さんは女性裁判官だからといって役割が限定されるのを避けるため、キャリア初期は家庭裁判所ではなく、名古屋地方裁判所で判事になった。その後、東京地方裁判所に戻ってから裁判当事者に刃物を向けられるというショッキングな事件が起こる」という――。

女性裁判官の役割が限定されるのに反発し地方裁判所へ

ドラマ「虎に翼」(NHK)ではまだ描かれていませんが、嘉子よしこさんは女性法曹の道が家庭裁判所に限定され、狭まってしまうことを恐れ、地方裁判所に自ら希望して行きます。東京地方裁判所の後に赴任したのは名古屋でしたが、実子の芳武さんを連れて2人で行きました。

日本で初めての女性判事は、嘉子さんでした。女性裁判官第1号は石渡いしわた満子みつこさんでしたが、それは判事補でした。法曹になって10年未満は「判事補」、10年経つと「判事」になるというきまりがあるのです。ドラマでは花岡さん(岩田剛典)がいきなり判事になっていましたが、それは戦前のこと。嘉子さんの場合、戦前に弁護士登録していた時期があるので、弁護士期間を合算すると10年を超えるということで、戦後の試験に合格してすぐ判事補になった石渡さんを追い越したわけです。

女性判事が赴任したということで、世間の注目を浴びました。名古屋駅前の電光ニュースに「女性の裁判官が赴任」と流れたくらいですから。着任後はいろいろなところから声をかけられ、講演を行うなどひっぱりだこ。名古屋に着任早々、「高等裁判所長官よりも有名な裁判官」になったそうです。

ところで、ドラマでは、寅子(伊藤沙莉)の娘の世話を兄嫁で親友の花江(森田望智)がしていましたが、嘉子さんは息子・芳武さんの面倒を弟夫婦に見てもらっていました。しかし、名古屋では母子2人暮らしになります。仕事は忙しかったものの、夫を亡くし、芳武さんに対する愛情は非常に強かっただけに、置いていくという選択肢はなかったのだと思います。

子連れ赴任だった名古屋で動物園デートをした相手とは

名古屋市立の山吹小学校に転校した芳武さんですが、嘉子さんは多忙でなかなか世話ができない。そこで、郁子さんという若いお手伝いを雇い、住み込みで家事とケアをしてもらう形で、6畳2間の官舎で3人暮らしをしていたそうです。

昔は今と違い、住み込みのお手伝いさんがいる家は珍しくありませんでした。花嫁修業の一環のような感覚で、結婚前の若い女性が住み込みでお手伝いさんになる例は多かったんです。そのお給金も安く、ですから、特別な高級取りでなくとも、そこそこの家にはお手伝いさんがいたんですね。

そんな中、名古屋ではロマンスもあったようで、裁判所の方で家に時々遊びにきていた男性がいたことを芳武さんは覚えているとおっしゃっていました。なかでもよく覚えているのは、嘉子さんと芳武さん、ある男性の3人で名古屋の動物園に行ったことだそうです。そのお相手は、後に再婚相手となる三淵乾太郎みぶちけんたろうさんだと思われます。初代最高裁判所長官の三淵忠彦の長男です。

名古屋地裁
写真=iStock.com/amnat11
名古屋地方裁判所があった現・名古屋市市政資料館

三淵忠彦は初代最高裁判所長官、嘉子はその息子と再婚する

ドラマでは、第14週から登場した岡田将生さん扮する星航一が、やはり初代最高裁判所長官・星朋彦(平田満)の長男という設定ですね。

三淵忠彦といえば、裁判官を退官し、戦後の司法大改革で最高裁判所が設立される際に初代最高裁判所長官となった人。当時、何かと風当たりの強い家庭裁判所に対し、設立のために尽力した嘉子さんと、それを応援した人という関係でもありました。ドラマで描かれたように、忠彦さんが本を出すのを嘉子さんが手伝ったというのも事実です。

嘉子さんと乾太郎さんとの間にロマンスが生まれるのはまだ先の話として、嘉子さんはとりわけ恋愛体質というわけではないでしょうけれど、男性から好意を持たれることはあったようです。芳武さんによると、嘉子さんが亡くなった後に持ち物を整理していたら、別の方が嘉子さんに書いたラブレターも見つかったなんてエピソードもあります。

時代的な背景を考えると、戦前も終戦直後も、社会的風潮としては法律を勉強するような女性は、「カタブツで話が通じなくて、嫁ぎにくい」とか「息子の妻にはしないでおこう」というような風潮はあったはずです。

そんな中でも、嘉子さんは、女学校時代から劇の「チルチルとミチル」のチルチル役をやったり、ドラマの寅子がそうであるように、しばしば宴会で「モンパパ」や、もう一つの十八番「リンゴの唄」を歌ったりして、明るく活発で人気者だったようです。

それに、宝塚も好きだし、占いなども好きで、意外と乙女チックなところもあった。そんな多面性が魅力的だったのかもしれません。

三淵嘉子・新潟家庭裁判所長
写真=共同通信社
三淵嘉子・新潟家庭裁判所長=1972年6月14日、東京家裁

司法修習があるからか、裁判官や検事の「職場結婚」は多い

ところで、裁判官や検事のいわゆる「社内恋愛」は多いのかと気になる方も多いかもしれません。

私の場合、検事を1年で辞めて裁判官と結婚しましたが、出会いは司法修習生の2年目のとき。夫のほうが1年下の修習生でした。今は修習期間が1年半になり、短くなっていますが、当時は2年間だったので、私は2年目と夫の1年目が重なっていて、東京での実務修習が一緒だったことがきっかけでした。

たぶん仕事を始めると、多忙になる上、仕事の責任も負うことになりますから、仕事を始めてからの恋愛は、当時はあまりなかった気がします。もちろん法廷で出会って……なんてドラマチックな話でもありません(笑)。そんなわけで、司法修習生時代に、大学の同級生のような感覚で付き合う人はたくさんいました。修習期間は、それまで必死に勉強し、厳しい司法試験に合格して、やっとちょっと羽根を伸ばせる期間。自分の事件として責任を持つ立場でもなく、ただ勉強させてもらうという気楽さと解放感があるんです。

「どんなに残酷な殺しの場面でも、セックスの光景でも直視」

昭和31年(1956)5月、嘉子さんは名古屋から東京地方裁判所に戻ってきました。裁判官のスタートも東京地方裁判所でしたし、地方に出すより東京地裁に置いておいた方が上としては安心という判断もあったのかもしれません。

特に地方裁判所は人数が少ないだけに、刑事事件も含めていろんな事件を扱わなければいけません。中には殺人や性犯罪事件もあり、そうした事件は女性裁判官には担当させにくいという風潮があったようです。しかし、嘉子さんは男女平等がモットーですから、愛憎の果てに起きた事件も担当すべきだと考えていました。

「どんなに残酷な殺しの場面でも、またしゅう恥心を覚えるようなセックスの光景でも一旦いったん職務となれば感情を乗り越えて事実を把握しなければ一人前の裁判官ではない」
(『女性法律家』有斐閣)

【参考記事】「羞恥心を覚えるようなセックスの光景でも検証する」朝ドラのモデル三淵嘉子が裁判官となって決めた覚悟

東京地方裁判所のトイレで裁判当事者に刃を向けられる

ところで、嘉子さんが裁判所で危険な目に遭ったこともありました。それは名古屋に転勤して戻ってきた後の、東京でのことですが、法廷での審査が終わりトイレに入ったとき、担当していた裁判の当事者だった高齢の女性に洗面所でカミソリの刃を向けられたのです。

嘉子さんが驚いて声をあげ、駆けつけた警備員にその女性はすぐ取り押さえられたため、怪我はなかったそうですが、嘉子さんは酷く悩んだそうです。ちなみに訴訟事件がどんなものだったかは、守秘義務もあり語られていないので、私たちも知りません。

当時、相談を受けた家庭局の上司・内藤頼博(ドラマで沢村一樹が演じる久藤頼安のモデル)さんは、「和田さん(当時はまだ亡くなった夫の和田姓)もとんだ災難に遭ったものだ」と同情したそうですが、嘉子さんは「当事者にそういう気持ちにさせた私自身が、裁判官としての適性を欠くのではないか」と苦悩していたそうです。

ライアンのモデル・内藤頼博が書き残したカミソリ事件

三淵さんがまだ和田姓で、東京地方裁判所の民事事件を担当しておられたとき、ある夜のこと、突然、私の家を訪ねてこられた。今日、訴松の当事者のお婆さんに、洗面所でいきなり刃物を向けられ、刺されそうになった、というのである。危く難を逃れたが、そのことで私を訪ねられたのであった。その出来事は、私も役所で耳にしていた。裁判所の中で、関係者が興奮のあまり狂気を発する例は、ときに聞かないでもない。私は、和田さんもとんだ災難にあったものだぐらいの気持ちで、その話をきいていた。しかし、その夜の和田さんは、真剣であった。相手を責めるのではない。当事者をそういう気持ちにさせた自分自身が裁判官としての適格を欠くのではないかという、深刻な苦悩をうったえられたのである。

これは、裁判官にとっても深刻な問題であろう。事件とのかかわり会いならば、忌避・回避ですむことである。しかし、これはもっと根本的な、人間としてのかかわり合いの問題である。そこに、人間が裁判をする限り、誰しも逃れることのできない苦悩がある。考えようによっては、こんどの場合は、たまたま当事者の行動によって示されたから、まだいいともいえる。行動に現れないままの不満不信は、どんなに多いことか。私は、その夜、法を司る者が負う宿命について、裁判というものの悲劇性について、夜がふけるまで和田さんと語り会った。

(内藤頼博 三淵嘉子さんの追想文集刊行会編『追想のひと三淵嘉子』)

「女性裁判官だから」事件を表沙汰にしなかったのか

佐賀千惠美『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社)
佐賀千惠美『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社)

裁判の当事者は、自分の主張が通らない、結果に納得がいかない苛立ちなどから、裁判官や弁護士に怒りの矛先を向けることもありえます。この事件は正直、ケガを負うリスクもあったわけですし、カミソリを向けた人を犯罪者として警察に被害届を出そう思えばできたはずですが、嘉子さんはそうはせず、記録にも残しませんでした。

嘉子さんがこの事件を表沙汰にしなかったのは、「これだから、女性はダメだ」「女性には無理だ」と思われてしまうことを恐れた面もあるでしょうが、何より自身の裁判官としての資質について、内省したということであったと思います。

嘉子さんの事件も詳細はわかりませんが、裁判官に限らず、そうしたリスクはあります。後に嘉子さんが自分が裁判所長になったとき、調停室に防犯ブザーをつけたというエピソードもあります。そういった安全面に気を配るようになったのは、このときカミソリを向けられた経験があったからかもしれませんね。