嘉子の実弟やひとり息子、義理の娘などに会って取材
専業主婦をしていた期間は夫の任地である横浜、土浦に同行し、6年間が経ってからは京都に落ち着きました。夫の実家が弁護士事務所だったので、私もそこで仕事をしながら、夫は東京や名古屋などを単身赴任でまわりつつ、週末だけ帰ってくる生活になりました。
本の取材では、ご本人たちのお身内にも会いました。嘉子さんの場合は、実弟の輝彦さんや息子の芳武さん、再婚相手となった三淵乾太郎さんの長女・那珂さんなどにお話をお聞きしましたが、この3人はもう亡くなっているので、あのとき貴重なお話をうかがっておいて本当に良かったと思います。
取材については皆さん好意的で、私が嘉子さんの後進に当たる女性法律家ということで、信用していろんな資料を提供してくれました。
ちなみに、女性初の検事は門上千恵子さんで、女性の検事第2号が私の義母だった佐賀小里です。佐賀小里は戦時中に明治大学法学部で学び、ドラマの穂高先生(小林薫)のモデルとなった穂積重遠先生の授業も受けたということで、佐賀小里も取材源のひとつになっています。『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』に書いたように、当時、講師だった嘉子さんが夫を亡くしたころ、泣きすぎて紫色になった顔で講義を行ったのを目撃しています。
「泣きすぎて顔が紫色に」朝ドラのモデル三淵嘉子は戦争で夫を亡くした…終戦前後に出した「4つの葬式」
「虎に翼」の時代と現代は地続き、ドラマに勇気づけられる
私が本のために取材を始めたのは39年前ですから、三淵嘉子さんが朝ドラになるなんて予測もしていませんでしたよ。本当にありがたい話ですし、あのとき頑張って本を書いておいて良かったと思います。
「虎に翼」はドラマとしてすごく面白いですよね。かなり脚色されているところもありますが、嘉子さんの考え方など基本的な部分は、私の本も参考にして主人公に落とし込んでくださっているように感じますし、展開も面白い。俳優さんたちもそれぞれに魅力的です。
女性法律家が朝ドラになったことで、その影響を受けて法学部や司法試験を志す女性も増えるかもしれませんね。ドラマを観ていても感じますが、憲法や民法が変わっても、それで人の心や社会構造までが簡単に変わるわけではなく、人によっては今も戦前の考え方をまだまだ引きずっているところがあります。「女性が弁護士や裁判官になるなんて難しい」と目標にしていなかった人たちを、ドラマが勇気づけてくれるといいなと思います。
もちろん、嘉子さんの時代に比べると、今は女性の立場もだいぶ改善されました。とはいえ、そうではなかった時代に平等を目指し、法律家になろうと頑張ってきた人たちがどんなことを考え、どんな困難に直面していたのかは残しておく必要はあると思うんですね。その頃と今は地続きなわけですから。
そんな思いで私が本を書いたときのことが、毎朝、「虎に翼」を観ると思い出されて、感慨深いです。