昭和51年、「女は司法界に入るな」という教官発言が炎上
2024年4月、福島みずほ参議院議員がSNSにアップした意外な動画。「『虎に翼』、すごく面白いです!」とニコニコ語りだすと、「実は1976年、司法研修所で……」と実際にあった女性差別について話し、話題になった。昭和の時代から女性弁護士として活躍してきた福島氏に、司法ドラマでもある「虎に翼」の見どころをたずねた。
5月、参議院議員会館で約束の時間に部屋に入ってきた彼女は、「今日は暑いですね! 昨日とはうってかわって」とこちらの様子を察してすかさず冷房を入れる。気配りの人だ。
「さっ、じゃ本題に入りましょうか! 『虎に翼』のお話ですよね?」
実にテンポがいい。歯切れがいい。準備もいい。テーブルの上には資料のコピー、「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子の関連書籍、手記などが幾冊もこちら向きに並べてある。
――まず、例の動画について教えてください。
「虎に翼」、すっごく面白いでしょう。ドラマを見て思い出したんだけど、1976年5月に、司法研修所で、弁護士の資格を持つ事務総長と教官たちが「男が命を懸けている司法界に、女を入れることは許さない」という差別発言をするんです。
「虎に翼」は昭和6年、1931年から始まるんですけど、そこから40年以上経ってもまだこんな発言をする人たちが司法界にいたんですね。
「司法修習で得た能力を家庭に入って能力を腐らせて」
――ひどいですね。ただ、記録が残っているのは、それがちゃんと問題視され、検証されたということでもありますよね。
そうなのよね。その教官たちは、女性の修習生に向かって「司法修習を終えたら判事や検事や弁護士になろうなんて思わないで、得た能力を家庭に入って腐らせて、子どものために使うのがもっとも幸せな生き方なのだよ」と話したんですよ。
大問題になって、新聞記事なんかもたくさん残っています。最終的には、日弁連が当事者たちにヒアリングを行って報告書も出すという、そういう事件でした。
当時ちょうど、女性の弁護士が1割に届いたところだったんです。「虎に翼」で描かれたように、初の女性弁護士3名が誕生した1938年から約40年が経って、ようやく女性弁護士の存在感が大きく感じられてきた頃だった、それに対する反動もあったんでしょうね。ただ、現代でも女性弁護士の割合は全体の約2割にとどまっているんですよ。