女好きで知られ、正妻以外にも3男4女以上、子が生まれた
栄一には公式のお子さん以外に、庶腹の子どもが数人存在した。
中でも有名であるのが、第一銀行の「プリンス」として頭取に推され、三菱銀行との合併失敗で辞任を余儀なくされた長谷川重三郎である。かれは栄一の13番目の子どもだったから、「十三」をもじって重三郎と命名されたといわれている。
少なくとも下記の7人が栄一の子どもだといわれている。
娘・大川てる (1875~1927年) 大川平三郎の妻
息子・星野辰雄 (1892生まれ) 星野錫の養子
娘・安本つる (1897生まれ) 星野錫の養子、安本明治郎の妻
娘・川崎まつ (1900生まれ) 星野錫の養子、川崎甲子男の妻
息子・長谷川重三郎(1908~1985年) 公的には長谷川元の子
息子・長谷川遠四郎 (生没年不詳)
68歳でも子どもができ「若気の至りで」と言い訳した
栄一は還暦を過ぎてから子どもができてしまい。思わず「若気の至りで」と語ったとか……。長谷川重三郎は栄一が68歳の時に生まれているので、彼がその子どもなのかも知れない。
ふみ、てるの母、大内くには、NHK大河ドラマ『青天を衝け』にも登場し、妻妾同衾、つまり同じ屋敷に妻と愛人が住む様子は、ちょっとした驚きを持って受けとめられた。
俗に「妾を囲う」というのは、商家の風習であるようだ。文字通り、別宅を用意して、そこに愛人(側室)を住まわせる。でも、そこには大きなデメリットがあった。正妻に娘しかおらず、側室に男子がいた場合、武家社会ではよほどのことがない限り、庶腹の男子に跡目を継がせるのだが、妾を囲った商家ではうまくいかなかった。
江戸時代の商家は職住一体で、使用人は住み込みだった(手代・番頭クラスは独立して通勤を許された)。そうなると、見も知らぬご子息より、子どもの時から成長を見てきた娘の方に情が沸く。庶腹の男子の相続に反対するというわけである(優秀な番頭を娘婿にするというのは中小の商家で、三井・住友クラスでは男系相続。使用人との結婚はタブーである)。
換言するなら、何が何でも男系相続をしたい武家は、妻妾同衾を選ばざるを得ない。そういうことなんだろう。