河越夜戦こと「砂窪合戦」は実際にどう展開したのか

意気地のなかった氏康がここで一気に豹変ひょうへんして応戦するとは予想していなかったのだろう。連合軍は油断をつかれて、押されてしまった。1時間の交戦のあと、追撃戦が始まった。勝ち残った北条氏康、城内の北条綱成が力を合わせて逃げる敵兵を次々と討ち取っていく。

綱成は地黄八幡の旗(黄色の絹に軍神「八幡」の二文字と書いた隊旗)を翻して「勝った、勝った」と大声をあげながら、勇躍した。

上杉憲政は敗走、上杉朝定は戦死した。足利晴氏は北条軍に降伏し、氏康は晴氏を殺せなかった。その代わり、元凶は上杉憲政だったという妥協的合意を取り、もとどおり晴氏を古河公方として推戴すいたいすることにしたのであった。

そこからというもの、トカゲの尻尾のように切り捨てられた憲政は、武運に恵まれず、武田晴信にも敗北して、越後の長尾景虎こと上杉謙信に支援を依頼することになっていく。河越城の砂窪合戦が、武将たちと、その後の関東の運命を一変させたのだった。

乃至 政彦(ないし・まさひこ)
歴史家

香川県高松市出身。著書に『戦国武将と男色』(洋泉社)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。新刊に『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『戦国大変』(日本ビジネスプレス発行/ワニブックス発売)がある。がある。書籍監修や講演でも活動中。 公式サイト「天下静謐