八十二銀行はナンバーズバンクではなく、19と63を足した

ナンバーズバンクは、現在の銀行名にも、その名残りをとどめている。

冒頭でも紹介した第一銀行、第四だいし銀行。それ以外にも十六銀行(岐阜県)、十八親和銀行(長崎県)、七十七銀行(宮城県)、百五銀行(三重県)、百十四銀行(香川県)がある。

例外的なものとして、八十二銀行(長野県)、三十三銀行(三重県)がある。

長野県の十九銀行と六十三銀行の合併が1931年に決まり、首脳陣が合併後の行名を何にするか迷っていた。迷いに迷って三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)の瀬下せじもきよし(のち頭取)に相談しに行ったところ、同席していた加藤武男(のち頭取)が「ナンバー二つを加えて八十二(銀行)にしたらどうか」と助言して決まったという。

なぜ十九銀行・六十三銀行の首脳が三菱銀行に相談に行ったかというと、瀬下が両行の合併を勧奨したからだ。当時、世界的な金融恐慌で経営不振にあえぐ銀行は少なくなかった。瀬下は長野県出身でかつ三菱銀行の事実上のトップ(常務取締役)だった(戦前は郷党意識が強かった)。現在も三菱UFJ銀行の親密地方銀行といえば、真っ先に八十二銀行が挙げられるくらいなのだが、なんてことはない。元はといえば、銀行トップの個人的な地縁に基づくものだったのだ。

ふるさと写真館/旧八十五銀本店をリニューアル=埼玉県川越市
写真=時事通信フォト
旧八十五銀行本店をリニューアルした「りそなコエドテラス」がオープン。大野元裕・埼玉県知事(右から3人目)、福岡聡・埼玉りそな銀行社長(左から3人目)、川合善明・川越市長(左から2人目)ら=埼玉県川越市、2024年5月15日

三十三銀行もナンバーズバンクではないという意外な事実

三十三銀行の場合はもうちょっと複雑だ。三十三銀行は2019年に第三銀行と三重銀行が合併してできた。ただし、第三銀行はナンバーズバンクではない。第三相互銀行が普銀転換で第三銀行と改称したものだ。

戦後、相互銀行法に基づく「相互銀行」という業態があった。戦前、無尽むじん会社という金融機関に似た業態があったが、規制が大きかったこともあり、戦後に中小企業専門金融機関の相互銀行に発展させたのだ。しかし、制度発足40年弱にして、普通銀行との差異が縮まってきたことを踏まえ、1989年以降に普通銀行に転換した(普銀転換)。従って、第三相互銀行は三番目にできたものではなく、三重で、三つの無尽会社が合併して……といった意味で「第三」という名称を選んだようだ。

ちなみに、三十三銀行も三井住友銀行との連携強化をうたっているが、これは前身の三重銀行が1939年の経営不振で住友銀行の野田哲造のだてつぞう(三重県出身。のち社長)を頼ったことに由来する。郷党意識、恐るべし。

【図表1】第一から第二十銀行まで国立(民営)銀行の歴史