専門細分化に対抗する「ジェネシャリスト」

さて、「文系」「理系」どちらかだけを学ぶだけでもしんどいのに、両方学ばなきゃいけないなんて、しんどすぎる。そういう意見もあるだろう。というか、そもそも専門化が進んだ現代社会で、そんなに広い範囲を勉強すること自体、意味がないのではないか。そういう意見もあるだろう。

そもそも、「分業」は生産性を上げるための合理的な手法である。アダム・スミスの時代から、我々は分業のメリットを十分理解している。専門細分化は必然で、「全部自分でやる」は悪手ではないか。

そのような疑念に対して私が出した回答が、「ジェネシャリスト」というコンセプトだ。

私は、2013年に「Generalist manifesto」という論文で、ジェネラリストとスペシャリストのハイブリッド、「ジェネシャリスト」という造語を作り、その概念を提唱した。これは、従来の「ジェネラリスト」と「スペシャリスト」という二分法を廃し、全ての医療者が(あるいは全ての「人」が)、ジェネシャリストになればいいじゃないか、という提案である。

専門家でもあるジェネラリスト

同じ内容で2018年には単行本を出版した。『The GENECIALIST Manifesto ジェネシャリスト宣言』(中外医学社)、概要は以下の通りだ。

ジェネシャリストは、なにか特定の専門分野を持つ。その分野に関しては非常に詳しい。しかし、それ以外については無知というわけではない。必ずしも専門性は高くはないが、「ある程度の」知識は広範囲に持っている。

世の中の森羅万象を全て理解する博覧強記の人物はそうそういない。現代のように、インターネットで情報量そのものが爆発的に増大している世界では、そのような博覧強記さのメリットすら小さい。そのような人物像は、人の現実的な目標ではない。

しかし、ある一点において専門家として優れ、それ以外は「ジェネラリスト」としての知識や経験を持っている場合はどうだろう。これならば、そこそこの妥当性をもって達成できる目標なのではあるまいか。そこには「文系」「理系」の区別など、まったくもって不要となる。

青の背景にオレンジ色のターゲットに向かって移動する紙飛行機
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