「彼女は幸福な人だ。いつも愛情の中にいる」と書いたエノケン

また、喜劇俳優・タナケン(生瀬勝久)のモデルとなったエノケン(榎本健一)も、笠置の自伝への寄稿でこう記している。

「彼女は気の毒な人だという。しかし、私はそうは思わない。彼女は幸福な人だ。いつも人々の愛情の中にいつくしまれている。そして自分も思う存分に愛情を表現してきた。まことに彼女は青春に悔いがないだろう」
笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)
映画版『お染久松』のエノケン(榎本健一)と笠置シヅ子(右)
写真=プレジデントオンライン編集部所有
映画版『お染久松』のエノケン(榎本健一)と笠置シヅ子(右)

実は「ブギウギ」の登場人物のモデルには、1つの共通点がある。それは、笠置と同じく、「家族を盲愛した」人たちだということ。

服部の自伝には「最愛の妹」として、末の妹・富子の名前が頻繁に登場する。服部の自伝『ぼくの音楽人生』(日本文芸社)によると、「両親が家業にいそがしかったため、ぼくが一種の親がわりをつとめた。小学校の面接や父兄会、学芸会にも出席した」特別な存在だが、服部が東京に行きたいと告げると、即座に賛成。東京に行きたくて苦しんでいた兄の気持ちを知っていたと言い、背中を押すのだった。

服部は実妹の富子をかわいがったが、富子は肝硬変で早世

そんな富子は宝塚歌劇団に所属していたが、歌手に転向し、「満州娘」が大ヒット。しかし、1981年には、肝硬変で早世する。「わたし絶対に死なないわネ、死ぬのはいやヨ」と言い、「ベートーベンは日本にもいるわネ、兄ちゃんよ。ニチベン、私の兄ちゃんは日本のベートーベン、ニチベン」と服部の手を握って言ったエピソードが切々と綴られているのだ。

また、りつ子のモデル・淡谷のり子もまた、青森の大きな呉服商の娘として生まれたが、実家の全焼と父の女道楽で没落した家を支えるため、また、栄養失調で失明の危機に瀕した妹の治療費を稼ぐために美術学校のヌードモデルまでしていた。

エノケンもまた、自身の病気「特発性脱疽」に苦しみ、自殺未遂をしたことと、金の工面に苦しんだこと、最愛の息子に先立たれたことが自伝の後半の大部分を占めている。