※この対談は2024年3月22日、書泉グランデ(東京都千代田区)で行われたイベントの模様を再構成したものです。
笠置シヅ子をモデルに朝ドラを書くことになった経緯とは
【佐藤】戦前戦後の流行歌の愛好家としても「ブギウギ」は鳥肌が立つぐらい面白かったので、この半年間、毎朝リアルタイムで放送を見てきました。そもそも足立さんは「2023年後期の朝ドラは笠置シヅ子」と決まってから、脚本を書くことになったんですか?
【足立】いえ、最初は題材が決まっていなくて白紙の状態でした。先に朝ドラを担当するということになって、たくさんの企画がある中から笠置シヅ子さんをモデルにすることが決まりました。
【佐藤】そうだったんですね。毎年、10月スタートの朝ドラはNHKの大阪放送局が作っているわけですが、第97作「わろてんか」は吉本興業創業者の吉本せいさん、第103作「おちょやん」が上方女優の浪花千栄子さん、と来ていたので、今回、笠置さんになったのは必然的な感じがしたんですが。
【足立】僕自身は笠置さんに関して全く詳しくなく、お名前と代表曲の「東京ブギウギ」のことしか知らなかったけれど、NHKから送られてきた資料を読ませていただくと面白い。かなり波瀾万丈な人生を歩まれているので、これはドラマにできるのでは、と思いました。ただ、波瀾万丈だけだと僕より上手に書かれる方がいらっしゃるので、「本当に自分がふさわしいのか」と思いましたが、自伝の中で育てのお母さまが、自分が死んだあとに生みの親に笠置さんを会わせないでほしいと夫にお願いしたという、人間の業のエピソードをユーモラスに振り返っていらして、そこに強く魅かれました。
【佐藤】僕は、次に昭和の音楽についての伝記ドラマ・映画を作るなら、笠置さんと服部良一さんのコンビだと思っていました。服部先生とその弟子、淡谷のり子さんと笠置さんの物語を戦前、戦中、戦後と展開して描いていたら、「なんぼかおいしかろ」という話を、前からしていました。それを朝ドラでやってくれたのはうれしかったです。
『エースをねらえ!』のような笠置と淡谷、服部良一の関係
【足立】僕は1972年生まれですが、本当に笠置さんのこともろくに知らなかったですし、淡谷のり子さんに至っては、モノマネ番組の審査員としての印象しか……(笑)。ただ、資料を読み込むと、淡谷さんもそうとう面白い人生を歩んでいますよね。
【佐藤】そうです。淡谷さんはすべてにおいて笠置さんより一周早いんですね。例えば、服部良一先生の門下に入ったこと、シングルマザーになっても歌手を続けたこと。
【足立】むしろ、キャラクターとしては淡谷さんの方が強い。笠置さんの人生にもいろんな出来事が起こるけれど、資料を読むと「ひとりの生活者であろうとした」という印象を受けて、そこもすごくいいなと思ったんです。
【佐藤】スポ根漫画『エースをねらえ!』みたいな三角関係ですよね。淡谷さんがお蝶夫人で、笠置さんが岡ひろみ、服部さんが宗像コーチという感じで、淡谷さんと笠置さんはライバルでありつつそこには友情もある(笑)。
【足立】すみません。『エースをねらえ!』もよく知らなくて(笑)。