義父義母からの容赦ない叱責
落選した渡辺さんが秘書に就任してから四カ月後、双子が誕生していた。当時、上の子どもは二歳。渡辺さんはその後、自宅で子どもの面倒をみる傍ら、当時はまだ珍しかったテレワークに移行した。自宅で文書を作成したり、指示を出したりする仕事に努める一方、永田町の議員事務所には週一回ほど出向いていた。
実の娘が政治活動にいそしむなか、仕事をしながら育児を続ける渡辺さんに、義父、義母からは「ちゃんと、できてるのか」と叱責が飛んでくる。
あらゆることが積もり、一気に爆発した。
議員秘書兼主夫の兼業主夫から、妻を手伝いながらの主夫に転じた渡辺さんは以後、九年間、家事育児に専念し、政治家の妻を支え続けた。その間、何度も複雑な思いを抱くこととなる。
稼げない自分が「ふがいない」
県議選に落選、適応障害が理由で秘書を辞め、家事育児に専念する生活が始まった。共働きではないため要件を満たせず、一歳未満の双子は保育園に預けられなかった。長女を延長保育がある幼稚園に通わせ、義両親の助けも得て何とか日々を過ごしていた。
妻とは、「できる範囲で、家のことをやってね」みたいな感じで始まったんですね。退院した直後で、仕事ができるような心持ちではありませんでした。だからといって、家事、育児がスムーズにできたかといえば、全然だめだったんですけど。
もう、モヤモヤどころじゃありませんでした。モヤモヤどころか、ふがいない自分に対する不満です。その状況が、ずっと続いていました。何とか、家事育児をやっとったという感じですかね。収入なしっちゅうのがね、僕の心の中で、何て言うんかな、うーん、ストレスにしかなってませんでしたね、明らかに。
父親は稼ぐものという深層心理
渡辺さんが自らをふがいなく思う最たる理由は、父親として無収入に陥ったこと。完全に収入が絶たれた我が身に直面したとき、知ることのなかった深層心理が浮かび上がった。
落選して、いろいろな経緯で辞職して、自分で自分に、ダメ人間っていうレッテルを貼っていました。落選し、お金を稼げていない、情けない、そういう感情っすね。
で、どんどん自分を責めていました。
その時思ったのが、意外と自分って、めちゃめちゃ家父長制思想だったんだなっていうことでした。外で稼げない自分がふがいなくって。自分は無収入で食わせてもらっている立場で、日々やっていることは、子どもの世話、台所での食事作り、家事。
情けなく思いました。やけになりました、はい。