好ましくない情報をなかなか振り払えない
日々の生活にも、たとえ小さなものでも、いらだつことや面倒なこと、挫折を感じることはたくさんあります。さらに、ほとんどの人にとって、病気や、拒絶されること、失敗、ときには絶望的なトラウマは避けられないものです。しかし、これまで私が研究してきたなかで、人生の浮き沈みに敏感に反応しすぎてしまい、好ましくない情報をなかなか振り払えない人こそ「最も不幸な人々」といえます。些細な困難や不快なこと、嫌な出来事が起きた場合に、そのような人は自己嫌悪に陥ってしまいがちです。
いまよりももっと幸せになるには、大小の差はあっても、まずはネガティブな経験に対して、「考えすぎないようにする方法」を学ぶことです。また、少なくともしばらくの間は、どんなものに対しても穴やひびを探さないようにして、自分自身や自分の生活について感じることに影響されないようにするのも重要です。
終わりのない介護でも絶望しない秘訣
私の友人のレダは、もうすぐ命を終えようとしている終末期の母親の介護で、とてもつらい日々をすごしていました。かつてレダは、終わりのない介護から毎日ちょっと息抜きの時間をとって、地元の農産物の直売所に行くという話をしてくれたことがあります。
彼女は市場などに行くのが大好きで、この直売所はとりわけ活気があってにぎやかで、品質のよい農産物や焼き立てのパン、新鮮な魚、ほかにも多くの品があふれんばかりに売られていました。1時間半ほどそこですごす自由な時間が「心の底から楽しい」とレダはいっていました。
彼女はともすると、世界で最も大切な人を失いかけていることを悲しんだり、自分を憐れんだり、医療費のことを思い悩んだり、人との付き合いがないと落ち込んだり、不安や絶望の思いに陥るのは簡単だったでしょう。もちろんレダは、毎日、困難な時間をすごしていました。でも、試練のときでさえ、彼女は自らが関心を向けられる活動に夢中になって、忙しくても、喜びを感じていられたのです。
「考えすぎる」という行為は、人間の脳が情報処理するためのたくさんのパワーを必要とします。不愉快な出来事に遭遇したり、悪い知らせを聞いたりした直後に、新聞の記事や本を読んだことはありますか? そのとき、同じ文を何度も何度も読んでいることに気づいたという経験はありませんか? また、授業中や仕事中、会話の最中など、楽しもうとしているときでさえ、考えすぎてしまうと集中できない場合もあるでしょう。