席を譲ってとは頼みにくいもの
健常者は他人の気持ちに想像が及べば、優先席に座ろうとはしないはずです。
たとえば妊婦さんが1駅か2駅だけ乗るのに、「席を譲っていただけますか」とは頼みにくいだろうと想像できれば、振る舞い方は変わるはずです。
そもそも妊娠しているかどうかは見ただけではわからないことも多いのです。
私は「優先席に座って何がわるい」という考え方は、日本社会のモラルの残念な面を象徴するものだと思っていますし、そのことは声高に述べ続ける必要があると考えています。
今ここで自分が優先席に腰掛けても誰にも何の影響も及ぼさない。そんな状況もあることはわかります。しかし、ここで話題にしているのは、そうした状況でのことでないのは、おわかりいただけるでしょう。
優先席はあくまでも「優先」席?
私には、「健常者が優先席に座って何がわるい」と述べる人の理屈は、「列車内の床に座って何がわるい」と言う人の理屈と同じに聞こえます。
ひっきりなしに人が行き来するところに誰かが座り込んでいる。注意をしたら、「なぜ座ったらいけない」と言い返されたとしましょう。
しかし、こんなことは理詰めで考える問題ではありません。多くの日本人にとって、「何がいけない」と説明するような事柄ではないのです。
したがって、「優先席はあくまでも『優先』席なので、その場に優先されるべき人がいなければ自分が座ってもおかしくない」などと理屈をこねるのは、単純に程度が低いのです。
優先席に座る健常者は、たとえば自分の婚約者の父親と一緒に地下鉄に乗っても、そこに座ろうとするのでしょうか。
日頃は平然と座っている人も、そんなときには止めておくのではないでしょうか。
逆に父親のほうが、何の躊躇もせず座ったら、その父親の人としての「レベル」を見下すのではないかと思います。それともお互いに何も感じないまま優先席に座るのでしょうか。